久古健太郎

日本の元プロ野球選手

久古 健太郎(きゅうこ けんたろう、1986年5月16日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

久古 健太郎
現役時代(東京ヤクルトスワローズ)2013年8月11日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都豊島区
生年月日 (1986-05-16) 1986年5月16日(37歳)
身長
体重
181 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト5位
初出場 2011年4月24日
最終出場 2017年7月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入り前 編集

東京都豊島区巣鴨出身で、両親は北海道上川郡新得町出身[1]。小学1年から野球を始め、中学時代は豊島シニアに所属。国士舘高校時代は、1年秋から新垣勇人に続く2番手の先発投手となり、明治神宮野球大会では1回戦の延岡学園高校戦で先発投手を務める[2]。2年春には第75回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦(2回戦)で堂上剛裕を擁する愛知工業大学名電高校と対戦して7回を2安打1失点で、0対1で敗退。エースとして迎えた3年夏は東東京大会の準々決勝で正則学園高校に敗れた[3]

高校卒業後は青山学院大学に進学し、野球部に所属。同期には井上雄介がいた。1年春から高市俊の控えとして公式戦に出場し[4]、4年秋にはエースとして13試合に登板して2勝を挙げるなど大学通算3勝を記録した。

大学卒業後は日産自動車に進むも入社直前に当シーズン限りでの休部が発表された[5]。チームは第80回都市対抗野球大会に出場したが、本大会では登板なし[6]。同期入社に古野正人がいた。休部にともない翌2010年日本製紙石巻に移籍してエースとなり、東北2次予選で13回1/3を投げて防御率1.35、チーム史上初めて第81回都市対抗野球大会に出場する[7]。本大会ではヤマハとの初戦で先発して敗れたが、内容をスカウトから高く評価され[8]、2010年10月28日にドラフト会議にてヤクルトから5位指名される。担当スカウトは八重樫幸雄で、契約金4000万円、年俸1000万円(いずれも推定)で契約する[9]。同年に大学時代の1年上の元マネジャーと結婚。

ヤクルト時代 編集

 
2011年10月15日、横浜スタジアムにて

左の中継ぎ投手不足というチーム事情で、2011年の開幕を一軍でスタートした。4月24日の広島東洋カープ戦で2番手としてプロ入り初登板。1回1/3を投げ1安打無失点に抑え、プロ初勝利[10]。開幕からしばらくは左のワンポイントでの登板がほとんどであったが、5月半ばからは1イニングを任される機会が増えた。7月10日の阪神タイガース戦より9月9日まで21試合連続無失点を続けた[11]。これは1999年岩瀬仁紀中日ドラゴンズ)に並ぶセントラル・リーグ新人投手最高記録であった[11]。11月に左手血行障害の手術を行った。オフに1300万円増の年俸2300万円(推定)で契約を更改する[12]

2014年5月3日の対阪神7回戦(明治神宮野球場)で、同点で迎えた8回表二死一塁の場面で3番手として登板し、NPB史上2人目、セ・リーグでは初の対戦打者0人で勝利投手となる[13]

2015年は、左打者用のワンポイントとして7、8回において秋吉亮ローガン・オンドルセクと共にセットアッパーを務める。

2016年は39試合に登板。

2017年は6試合に登板[14]

2018年の春季キャンプ中に不整脈の症状を訴え、キャンプ途中で帰京し東京都内の病院で診断を受けた[15]。この年はプロ入り後初の一軍登板なしに終わり、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[16]。11月13日にタマホームスタジアム筑後で行われた12球団合同トライアウトに参加。不整脈の症状が出てマウンド上でしゃがみ込むトラブルがあったが、打者3人に対して1四球無安打で左打者2人を抑える投球を見せた[17][18]。しかし、獲得に手を挙げる球団はなく現役を引退した。

引退後 編集

今後のキャリアを考えて様々な本を読む中で、あるコンサルタントが書いた本に影響を受け、コンサルティング業界に興味を抱くようになる。登録した転職エージェントでは、元アスリートという立場上、決まって営業職ばかり勧められていたことから、エージェントには頼らず自力で就活を開始。企業のサイトから30社に直接エントリーし、約10社書類選考を通り、最終的に6社より内定を得る[19]。その内、個人のスキルをいち早く身につけることが出来る環境だと思えたことと、今後スポーツに関する仕事にも力を入れていくという展望に惹かれたことから[19]2019年2月、デロイトトーマツコンサルティングに就職した[20]。2021年現在は、プロジェクト管理やマーケティング領域のコンサルティング業務を主に行っている[19]。コンサルティング業の一環で、2023年4月より島根県立隠岐高等学校硬式野球部にてボランティアでコーチを務める。

選手としての特徴・人物 編集

平均球速138km/h[21]、最速145Km/hのストレートスライダーカットボール[22]シュートカーブ、に加えてチェンジアップ[7]を投げる。

テンポ良く低め、コーナーに投げ込み打たせて取る投球が持ち味。左打者の内角を攻める度胸にも定評がある[9]

2016年頃から持病として不整脈を抱えている[18]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2011 ヤクルト 52 0 0 0 0 5 2 1 20 .714 161 37.0 37 1 13 1 4 31 0 1 16 15 3.65 1.35
2012 9 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 37 8.0 9 2 3 0 0 6 0 0 7 5 5.63 1.50
2013 38 0 0 0 0 2 1 0 9 .667 120 29.1 28 6 3 0 2 33 0 0 10 9 2.76 1.06
2014 46 0 0 0 0 1 3 0 7 .250 156 33.2 39 4 13 0 4 22 2 0 21 21 5.61 1.54
2015 38 0 0 0 0 0 0 0 8 ---- 102 24.2 23 1 9 0 1 23 3 0 7 7 2.55 1.30
2016 39 0 0 0 0 0 0 1 3 ---- 115 26.1 26 2 5 0 6 27 0 0 13 13 4.44 1.18
2017 6 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 14 1.2 7 1 1 0 1 1 0 0 5 5 27.00 4.80
NPB:7年 228 0 0 0 0 8 6 2 49 .571 705 160.2 169 17 47 1 18 143 5 1 79 75 4.20 1.34

年度別守備成績 編集



投手












2011 ヤクルト 52 4 11 0 0 1.000
2012 9 0 2 0 0 1.000
2013 38 2 6 0 0 1.000
2014 46 3 8 0 2 1.000
2015 38 0 5 0 0 1.000
2016 39 2 4 0 0 1.000
2017 6 0 0 0 0 ----
通算 228 11 36 0 2 1.000

記録 編集

初記録
その他の記録
  • 打者0人で勝利投手:2014年5月3日、対阪神タイガース7回戦(明治神宮野球場) - 詳細は上記通り。NPB史上2人目、セ・リーグ初

背番号 編集

  • 26 (2011年 - 2018年)

脚注 編集

  1. ^ 新たな“持ってる男”早くも5勝、ヤクルト久古健太郎 ZAKZAK、2011年7月15日
  2. ^ 毎日新聞、2003年2月21日付朝刊、東京地方面
  3. ^ 読売新聞、2004年7月26日付朝刊、東京地方面
  4. ^ 読売新聞、2005年6月6日付朝刊、P.14
  5. ^ 読売新聞、2009年2月10日付朝刊、P.25
  6. ^ 都市対抗野球大会80年史 日本野球連盟
  7. ^ a b 毎日新聞、2010年8月27日付夕刊、P.9
  8. ^ 毎日新聞、2010年11月6日付朝刊、宮城地方面
  9. ^ a b 毎日新聞、2010年11月26日付朝刊、宮城地方面
  10. ^ 久古 プロ初登板勝利の記念球は「石巻へ」スポーツニッポン 2011年4月24日 燕・久古、記念のボール「石巻に送りたい」 サンケイスポーツ、2011年4月24日
  11. ^ a b ヤクルト・久古 セ新人連続試合無失点タイ記録”. 産経新聞 (2011年9月10日). 2011年9月10日閲覧。
  12. ^ スポニチ 2011年12月12日 52試合に登板のルーキー久古は2,300万円でサイン
  13. ^ 2ボール2ストライクからの一塁への牽制球で一塁走者の大和をアウト(記録は盗塁刺)にしてイニングを終了させ、その裏に味方が勝ち越し点を挙げ、9回には別の投手に交代した。この場合の「打者」とは、対戦を完了した打者の数のことをいう。久古 史上2人目打者0人で勝利投手に!「そっとしておいて」スポーツニッポン2014年5月4日配信
  14. ^ 久古健太郎 東京ヤクルトスワローズ 選手名鑑
  15. ^ “ヤクルト・久古、不整脈で練習中断 近日中に都内の病院で検査へ”. サンケイスポーツ. (2018年2月24日). https://www.sanspo.com/article/20180224-NX7A6N3CONNB3HA3TE4M2OQ4AM/ 2018年11月14日閲覧。 
  16. ^ “ヤクルト久古が戦力外 今後は「家族と相談して」”. 日刊スポーツ. (2018年10月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810020000542.html 2018年11月14日閲覧。 
  17. ^ “ヤクルト退団の久古 トライアウトで不整脈の症状も…執念で続投 左キラーぶり発揮”. デイリースポーツ. (2018年11月13日). https://www.daily.co.jp/baseball/2018/11/13/0011815881.shtml 2018年11月14日閲覧。 
  18. ^ a b “ヤクルト久古が持病不整脈で一時降板も投球完遂”. 日刊スポーツ. (2018年11月13日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811130000547.html 2018年11月14日閲覧。 
  19. ^ a b c “元プロ野球選手の転職先は…外資系コンサル 逆算のセカンドキャリア”. withnews. (2021年3月15日). https://withnews.jp/article/f0210315000qq000000000000000W08c10301qq000022663A 2021年3月15日閲覧。 
  20. ^ 子供にも現役選手にも大きな夢を― コンサル企業に就職した元燕左腕・久古健太郎の今”. Full-Count (2019年4月1日). 2020年12月19日閲覧。
  21. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、97頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 
  22. ^ 読売新聞、2010年10月29日付朝刊、宮城地方面

関連項目 編集

外部リンク 編集