久喜菖蒲公園

埼玉県久喜市河原井町にある都市公園

久喜菖蒲公園(くきしょうぶこうえん)は、埼玉県久喜市河原井町、菖蒲町昭和沼に位置する埼玉県営の都市公園(総合公園)である[2]

久喜菖蒲公園
春の久喜菖蒲公園と昭和沼(2010年4月)
分類 都市公園(総合公園)
所在地
埼玉県久喜市河原井町、菖蒲町昭和沼
座標 北緯36度3分21.6秒 東経139度38分47.3秒 / 北緯36.056000度 東経139.646472度 / 36.056000; 139.646472座標: 北緯36度3分21.6秒 東経139度38分47.3秒 / 北緯36.056000度 東経139.646472度 / 36.056000; 139.646472
面積 40.0ha
開園 1977年(昭和52年)7月1日
運営者 埼玉県(指定管理者:公益財団法人埼玉県公園緑地協会[1]
駐車場 300台
公式サイト 久喜菖蒲公園
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概要 編集

久喜菖蒲工業団地の整備に合わせ、1977年昭和52年)7月に完成した。昭和沼を囲うように整備され、久喜菖蒲工業団地のほぼ中央部に位置している。久喜市の河原井町と菖蒲町昭和沼にまたがる地区には、かつて昭和沼や河原井沼といわれていたクリーク(小川)の多い湿田地帯であったが、1970年(昭和45年)にこのクリークを集約し、31.3haの巨大な池を整備、周囲に165haの久喜菖蒲工業団地を造成した。現在、昭和沼の水は周囲の工場によって工業用水として利用されている。昭和沼の中には高さ34mの大規模な音楽噴水があり、30分毎に約10分間運転される。日没後にはこの噴水がライトアップされる。昭和沼の東(管理事務所の北方)に備前堀川へと通じる水路が設けられている。

施設・設備 編集

交通アクセス 編集

駐車場 編集

  • 収容台数 300台
  • 利用時間(休園日である月曜日は終日閉鎖)
    • 4月1日 - 9月30日まで
      • 平日 午前6時30分 - 午後5時30分
      • 土日祝 午前5時30分 - 午後5時30分

但し、上記期間のうち7月18日〜8月16日は午後7時まで

河原井沼・昭和沼 編集

 
昭和沼(2011年12月)

河原井沼(かわはらいぬま)は開発される以前、長さ35町(約3.8km)・横16町(約1.7km)の広大なであった。河原井沼は上流からの悪水が落ち込む場所であるとともに、下流域では水源となる溜井の役割を果たしていた。当時流入していた主な河川としては古笊田堀五ヶ村堀外谷落大蔵落であり、流出先は備前堀庄兵衛堀川爪田ヶ谷堀などであった。

1728年享保13年)に見沼代用水の開削により豊富な水源の確保が可能になると、河原井沼や周辺の湖沼での新田開発が本格化した。河原井沼では1728年(享保13年)、井沢弥惣兵衛の指揮のもとに太田袋村の武助が出願人となり、主に周辺の台村江面村・除堀村・原村・下早見村所久喜村の村民が工事にあたり、新田開発が進められた。工事は主に流入・流出先の河川・水路の整備から始まったが、低湿地であったために縦35間(約63m)・横2間(約3.6m)の堀を幾重にも掘り、掘った土を積み上げて掘り上げ田を作る方式で新田を開発した。これらの新田は河原井沼周辺の6ヵ村に分配された。これらの新田は武助新田を除き幕府天領として幕末まで維持された。

1966年昭和41年)頃、この地域の工業団地造成計画が具体化し1977年(昭和52年)3月、9カ年を要し久喜菖蒲工業団地が整備され完成した。久喜菖蒲工業団地の造成時に現在の工業団地部分に盛り土をするため、河原井沼地区の中央部を掘削し用土を確保した。このために生まれたのが現在の久喜菖蒲公園中央部に所在する昭和沼(しょうわぬま)である。

脚注・参考資料 編集

脚注

参考資料

  • 『久喜市史 通史編 上巻(639ページ ~ 673ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成四年一月二十日 発行
  • 『久喜市史 通史編 下巻(478ページ ~ 485ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成四年一月二十日 発行
  • 『菖蒲町の歴史と文化財 通史編(9ページ ~ 11ページ、127ページ ~ 128ページ、270ページ ~ 272ページ)』 社会教育課 編集 菖蒲町教育委員会 発行 平成一八年三月一五日 発行

外部リンク 編集