久徳知至

日本の陸軍軍人

久徳 知至(きゅうとく ともよし、1889年明治22年)2月3日[1] - 1972年昭和47年)5月31日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

久徳 知至
生誕 1889年2月3日
日本の旗 日本 大阪府
死没 (1972-05-31) 1972年5月31日(83歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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経歴 編集

1889年(明治22年)に大阪府で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1934年(昭和9年)に陸軍科学研究所所員となり[2]1936年(昭和11年)に陸軍工兵大佐に進級した[2]1938年(昭和13年)に工兵第7連隊長を経て[2]1939年(昭和14年)3月に陸軍少将に進級し[2]、陸軍科学研究所第2部長に就任[1]

1940年(昭和15年)に中支那野戦兵器廠長を経て[1]1944年(昭和19年)5月に南方軍兵器部長となり[1]太平洋戦争に出動。同年6月に陸軍中将に進級し[2]7月14日に兼南方軍航空兵器部長[3]9月29日免兼職[4]1945年(昭和20年)4月6日防衛総司令部[5]4月7日第1総軍兵器部長に就任し[1]、終戦を迎えた。

栄典 編集

勲章

脚注 編集

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026