乙田 東洋司(おつだ とよし、1942年 - 2014年[1])は、大阪市生まれの遊戯文芸研究家。

三遊亭さんゆうてい 扇生せんしょう
本名 乙田おつだ 東洋司とよし
生年月日 1942年
没年月日 2014年
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市
師匠 2代目三遊亭百生
活動期間 1960年 - 1966年
受賞歴
大阪府知事表彰(1986年)

落語家。上方言語遊戯の会「笑鬼会」本院冗皇(会長)。著書で、回文いろは歌といった言葉遊び作品を数多く発表した(著書は後述)。日本ペンクラブ会員(1986年より)。

人物・来歴 編集

小学校4年の頃より、ラジオのお笑い番組荒らしで名を馳せ、清風高校3年当時には、ABCラジオ漫才教室』を「卒業」(4週勝ち抜き)するなど、賞金を稼ぐ。1960年、高校卒業と同時に、2代目三遊亭百生(当時:3代目桂梅団治)に入門、三遊亭 扇生を襲名。同年、千日劇場で初舞台、高座に上る。落語家当時の芸人仲間に横山やすし若井ぼん前田五郎2代目桂枝雀3代目笑福亭仁鶴など。

1966年、落語を引退、父親の事業であったビニール製品加工業[2]を引き継ぐ。同年、上方言語遊戯の愛好グループ「日本笑学指導院 笑鬼会本院」を、ぼん、やすしらと設立し、自身は冗皇(会長)に就任。同会はのちに3代目桂春団治4代目桂福団治石井光三を顧問に迎える。

受賞歴 編集

  • 1986年 大阪府知事表彰

著書 編集

  • 笑いの氾濫 巷に息吹く洒落精神(関西市民書房、1981年)
  • 笑学強加書 ことばあそびばらいえてい(社会思想社現代教養文庫、1984年) - 「日本笑学指導院 笑鬼会本院冗皇」名義
  • ことばあそび新文 ユーモア&クレイジーニュース(社会思想社・現代教養文庫、1986年) - 「笑鬼会本院」名義

関連人物 編集

「笑鬼会」本院メンバーのうち、本文未出の項目

脚注 編集

外部リンク 編集