京極勝秀

室町時代後期の京極氏の武将。京極持清の長男・嫡男。

京極 勝秀(きょうごく かつひで、永享5年(1433年) - 応仁2年6月17日1468年7月6日))は、室町時代後期の京極氏の武将。京極持清の長男。幼名は三郎。兄弟に政光政経畠山政長室。子に孫童子丸高清(弟とも)。

略歴 編集

室町幕府第7代将軍足利義勝の存命中に元服、義勝から偏諱を賜って勝秀と名乗る。

その後、応仁元年(1467年)に応仁の乱が起こると、従兄弟にあたる細川勝元の率いる東軍に父持清と属する。翌応仁2年(1468年)に勝秀は近江六角政堯と共に西軍についた六角高頼と戦うが、その最中に父に先立ち病死した。

2年後に持清も死去、京極氏は後継者を巡ってお家騒動京極騒乱)が勃発した。

系譜 編集

関連項目 編集