伊藤 完二(いとう かんじ、1897年明治30年〉4月16日[1] - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。屏東市尹。

伊藤完二

経歴 編集

伊藤和一郎の次男として大分県速見郡杵築町(現:杵築市)に生まれる[1]1925年(大正14年)京都帝国大学法科大学を卒業し、翌年6月、台湾総督府に出仕する[1][2][注釈 1]。同府法務課課員、秘書課課員を経て、1928年(昭和3年)9月に高雄州警務課長に就任[1][2]

ついで、台湾警察官司、同獄司、練習所主席教官を経て、1931年(昭和6年)5月に地方理事官に進み、台北州に赴任する[1][2][3]。同州内務部地方課長兼官房文書課長を経て、1932年(昭和7年)4月に新竹州新竹郡守に転じ、翌年の1933年(昭和8年)12月、屏東市尹に就任した[1][3]。その後、台湾総督府交通局参事、同府逓信部庶務課長、台南州内務部長、同州総務部長を経て、1943年(昭和18年)3月、同府交通局理事兼逓信部長に就任した[1]

戦後は、福岡相互銀行杵築支店長を経て、大分県人事委員会委員長となった[4]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『輓近大日本拓殖史』では大正4年京大法科卒業とあるが、年齢と出仕時期から誤り。

出典 編集

参考文献 編集