伊藤 明瑞(いとう めいずい、1889年2月28日 - 1948年11月23日)は日本書家。本名は宮本 正雄門(みやもと まさおと)。

人物 編集

和歌山県和歌山市に生まれる。

1891年(明治24年)、2歳で漢学者南海鐵山に入門し、1892年(明治25年)、3歳で元堺県知事に揮毫を披露する。早くから神童・天才書家と呼ばれ、幼くして古典を暗記するなど博覧強記な人物であったという。

1894年(明治27年)、5歳で王羲之の書法を体得し、免許皆伝書を授与される。

1895年(明治28年)2月13日、5歳の時明治天皇の御前で腕前を披露し、「日本明瑞」(明治の明と瑞祥の瑞)の名を賜る。後に伊藤博文の書生となり、「伊藤明瑞」を名乗るようになった。

青年期から没するまで明石市に居住する傍ら、皇族・華族や全国の官公庁・寺院・学校などを回って、実演を披露した。

1948年(昭和23年)、明石の自宅において死去。

参考文献 編集

  • 河井高明『伊藤明瑞:明治天皇御前揮毫の書家』私家版、1972年

関連項目 編集

  • 金盃酒造 - 商標の文字は明瑞の揮毫による。

外部リンク 編集