伊豆国分寺

静岡県三島市にある日蓮宗の寺院

伊豆国分寺(いずこくぶんじ)は、静岡県三島市にある日蓮宗寺院。旧称は蓮行寺山号は最勝山。本尊釈迦如来。大本山北山本門寺の旧末寺で、現在は興統法縁会所属。

伊豆国分寺

本堂
所在地 静岡県三島市泉町12-31
位置 北緯35度07分12.30秒 東経138度54分35.06秒 / 北緯35.1200833度 東経138.9097389度 / 35.1200833; 138.9097389座標: 北緯35度07分12.30秒 東経138度54分35.06秒 / 北緯35.1200833度 東経138.9097389度 / 35.1200833; 138.9097389
山号 最勝山
宗派 日蓮宗
本尊 釈迦如来
創建年 天平13年(741年
開基 聖武天皇(勅願)
文化財 伊豆国分寺塔跡(国の史跡)
法人番号 9080105001976 ウィキデータを編集
伊豆国分寺の位置(静岡県内)
伊豆国分寺
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奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、伊豆国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である伊豆国分寺跡(塔跡は国の史跡)と伊豆国分尼寺についても解説する。

歴史 編集

伊豆国分寺に比定される以前、当寺は古くは「蓮行寺」という名の真言宗寺院であった[1]。時期は不明ながら、慈眼(慶長14年(1609年没)が日蓮宗に改宗したという[1]。のち当地が伊豆国分寺跡に比定されたことから、昭和38年(1963年)に現在の「伊豆国分寺」と改称した。

伊豆国分寺跡 編集

 
旧国分寺塔跡(国の史跡)

昭和31年(1956年)の発掘調査により、寺域は2町4方と推定され、僧坊・講堂・金堂・中門・南門の遺構が確認された。しかしながら、伽藍の詳細は明らかとはなっていない[2]。現在は、塔跡の基壇・礎石8個が現国分寺の境内に遺構として保存され、国の史跡に指定されている。

延喜式』主税寮の伊豆国正税では、代用の国分寺として「山興寺」の寺名が記載されており、元の国分寺は10世紀には焼亡していたと見られている。

伊豆国分尼寺 編集

 
市ヶ原廃寺塔心礎(市指定文化財)
祐泉寺境内。国分尼寺跡か。

尼寺の所在は明らかではない。『日本三代実録元慶8年(884年)4月21日条によると、国分尼寺は承和3年(836年)に焼亡し、その後定額寺の某寺が法華寺とされたという。また同条によれば、元慶8年(884年)に新たに建立することを許されたともいう。

僧寺東方に所在する祐泉寺には、裏手に「市ヶ原廃寺」と呼ばれる寺院跡がある[3]。祐泉寺境内には塔礎石が残されており、この廃寺が薬師寺式伽藍配置であったとする説がある[3]。この礎石は三島市の文化財(考古資料)に指定されている[4]。また、祐泉寺の南方に位置する法華寺は国分尼寺の後継と伝えられる[3]

以上を基に市誌編纂事業では、国分尼寺に塔は設けられた例がないことから市ヶ原廃寺は「定額寺の某寺」でありかつ『日本文徳天皇実録』に定額寺として見える「大興寺」に充てられ、新たに建てられた寺が「法華寺」だとみなされた[3]。ただし市ヶ原廃寺の遺構は明らかとなっていないため、伽藍配置や規模含め問題が残されている[3]

文化財 編集

国の史跡 編集

  • 伊豆国分寺塔跡 - 昭和31年5月15日指定。

現地情報 編集

所在地

脚注 編集

  1. ^ a b 『静岡県の地名』蓮行寺町項。
  2. ^ 『静岡県の地名』伊豆国節。
  3. ^ a b c d e 『静岡県の地名』市ヶ原廃寺項。
  4. ^ 市ヶ原廃寺の塔心礎(三島市ホームページ)。

参考文献 編集

  • 『日本歴史地名体系 静岡県の地名』(平凡社)三島市 蓮行寺町項・伊豆国分寺跡項・市ヶ原廃寺項・二日町項

外部リンク 編集