佐久間信則

日本の江戸時代前期の武士。江戸幕府旗本佐久間信重の子で、信則系佐久間氏(信重系佐久間氏分家)初代当主。鉄砲頭を勤める

佐久間 信則(さくま のぶのり)は、江戸時代前期の旗本

 
佐久間信則
時代 江戸時代前期
生誕 寛永2年(1625年
死没 元禄10年(1697年
別名 通称:小才次、八郎兵衛
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川綱吉徳松
氏族 佐久間氏
父母 父:佐久間信重
兄弟 信俊、小平次、信常信則
小倉蔵人(蒲生飛騨守家臣)の娘
信編、男子、信貞
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神田の館徳川綱吉に仕え、兄・佐久間信俊信常とは別家の祖となった。

鉄砲頭を勤め、延宝8年(1680年)に綱吉の子・徳松西の丸に入城した折にこれに従い、蔵米300俵を賜った。天和3年(1683年)徳松の逝去後、小普請となる。

元禄10年(1697年)死去。享年73。