佐伯 忠彦(さえき ただひこ、1968年1月17日 - )は、日本の元オートレース選手東京都出身。22期。伊勢崎オートレース場所属。

呼名は「テイエムオペラ/ガイセンモン」

略歴 編集

  • 1991年6月28日選手登録。伊勢崎オートレース場所属の同期には高橋貢矢野義幸中村浩章がいた。
    • 伊勢崎オートレース場において22期連続第1位の地位にいる同期の高橋とは対照的に、平成20年後期全国ランキングでは公傷・公傷以外の選手を除いては全国最下位の地位に甘んじていた。従って彼がレースに出走する際は、大抵第1〜第3レースというかなり早い時間帯のレースに組まれていた。当然の如く、ハンデは最も軽い0m(一番前のスタートライン)に配置され、車番は8番車となるのが慣例となっていた(ただし同ハンデ選手がいる場合はその人数分内枠)また、直線でも足をついたままでやや上向いた独特のフォームが特徴であった。
  • 通算勝利数は91勝、区切りの100勝まであと9勝と迫っていたが、記録達成することは出来なかった。また2着は98回、3着133回であった。
    • 2008年12月7日伊勢崎オートレース場第2レースにおいて3着に健闘し、およそ2年ぶりに車券にからんだ。3連単は2連単が人気サイドで決まったにもかかわらず13万車券となった。
  • 趣味はドライブである。
  • 新人選手である30期生が2009年1月よりデビューし人員が余剰となるため新陳代謝制度(成績下位者の選手登録を強制的に消除する制度)による登録消除が決定。2009年度前期適用ランク(4月1日から)からランク除外。それ故、インターネット掲示板2ちゃんねるオートレース板では、同じく全国ランキング下位の猪股忠福澤清三(いずれも伊勢崎オートレース場所属)と合わせてだんご3兄弟と称されていた(0ハンが3人なのでだんご3兄弟)。
    • 2chオートレース板では「佐伯先生、引退レースに行くよ!」などの書き込みが多く、いかに愛されている選手だというのが見て取れる。引退レースは3月27日の伊勢崎オートレース場で行われた。
  • 2009年3月27日普通開催デイリースポーツ杯争奪戦。1R一般戦2着をもって現役を引退。
    • 一番人気になった引退レースでは、道中、野沢守弘に捌かれたものの、師匠の江川重文、新人の林稔哲を見事に抑えて2着になった。

関連項目 編集