佐竹 義祇(さたけ よしもと)は、江戸時代中期の大名出羽国岩崎藩の第4代藩主。佐竹壱岐守家4代当主。官位従五位下壱岐守

 
佐竹義祇
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦9年(1759年
死没 寛政5年9月19日1793年10月23日
別名 栄之助(通称
戒名 泰量院殿月相瑞円
墓所 東京都板橋区小豆沢の総泉寺
官位 従五位下壱岐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
出羽岩崎藩
氏族 佐竹氏
父母 父:佐竹義敏、母:木暮氏
養父:佐竹義忠
正室:相馬恕胤の娘
継室:松平親盈の娘
義知ら2男2女
テンプレートを表示

略歴 編集

第2代藩主・佐竹義道の次男・佐竹義敏の長男として誕生した。宝暦9年(1759年)、もしくは宝暦11年(1761年)9月6日生まれと言われている。

父・義敏は祖父・義道の嫡子であったものの、岩崎藩佐竹家の家督を相続することなく死去し、叔父の義忠が家督を相続した。明和元年(1764年)5月18日、義忠の養嗣子となった。安永2年(1773年)4月1日、10代将軍・徳川家治御目見した。安永9年(1780年)11月7日、義忠の隠居により跡を継いだ。同年12月18日、従五位下・壱岐守に叙任した。

寛政5年(1793年)9月19日(または9月22日)に死去し、跡を長男の義知が継いだ。享年35。法号は泰量院殿月相瑞円。墓所は東京都板橋区小豆沢の総泉寺。

系譜 編集

子女は2男2女。

父母

正室、継室

子女

脚注 編集