佐藤優 (外交官)

佐藤 優
生誕 1960年1月18日(52歳)
日本の旗 日本埼玉県
出身校 同志社大学大学院(神学修士)
職業 文筆家(元・外務官僚)

佐藤 優(さとう まさる、1960年1月18日 - )は、日本文筆家(元・外務官僚)。評論家コメンテーターの中には、親しみを込めて、「さとう ゆう」と呼ぶ者もいる。

経歴

埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校卒業後、同志社大学神学部に進学[1]大学院神学研究科を修了し、神学修士となる。

研究のテーマは「チェコスロバキア社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」。特にチェコの神学者ヨセフ・ルクル・フロマートカに強い興味を持ち、外務省の専門職員募集に応募した。

外交官時代

1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省。しかし、研修はチェコ語ではなくロシア語であり、5月に欧亜局(現在:欧州局アジア大洋州局に分割)ソビエト連邦課に配属された。なお、当時のソ連課長は野村一成、首席事務官は宮本雄二(のちの駐中国大使)であった。ロンドン郊外Beaconsfieldの英国陸軍語学学校(Defence School of Languages)でロシア語を学んだ後、1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部に留学した。

1988年から1995年まで在露日本大使館に勤務し、1991年8月クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生死について東京の外務本省に連絡する。このエピソードに関しては異論も存在する。日垣隆によれば、兵藤長雄元外務省欧亜局長は2002年5月14日、『NNNきょうの出来事』での録画インタビューにて「九一年のソ連崩壊のとき佐藤優氏はゴルバチョフがクリミアにいるという情報をいちばん早く持ってきた、そりゃあ非常に優れた分析官です」と述べたが(日垣によれば11時8分)、同日の『筑紫哲也ニュース23』の生出演の際(日垣によれば11時15分から16分にかけて)には「佐藤優氏にまつわるエピソードは、誤解に基づく伝聞です。もう一人の分析官のほうが早かったんです。ゴルバチョフの居場所を逸早くつかんだ、といった類の情報を流して彼を持ち上げるのは感心しませんねえ」と発言したという[2]

日本帰任後の1998年には国際情報局分析第一課主任分析官(課長補佐級、佐藤のために急造されたポストといわれる)となり、橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領のクラスノヤルスク会談にもとづく2000年までの日露平和条約締結に向け交渉する。また、外交官として勤務するかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務める。

鈴木宗男との関係

1991年9月、日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた鈴木宗男の通訳と車の手配などを佐藤がおこなった件を機に知り合い、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったといわれる(鈴木とともに仕事をし、宗男から「外務省のラスプーチン」というあだ名をつけられたと佐藤は『上柳昌彦のお早うGoodDay!』(ニッポン放送)において主張している[3]

逮捕・起訴

2002年に鈴木宗男に絡む疑惑が浮上したことによる連座する形で、2月22日外交史料館へ異動。4月に外務省を混乱させたとして給与20%一カ月分の懲戒減給を受ける。

2002年5月14日鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕。同年7月3日、偽計業務妨害容疑で再逮捕。2003年10月、保釈。512日間拘留された。

2005年2月に東京地方裁判所(安井久治裁判長)で執行猶予付き有罪判決(懲役2年6ヶ月 執行猶予4年)を受け控訴していたが、2007年1月31日、二審の東京高等裁判所(高橋省吾裁判長)は一審の地裁判決を支持し控訴を棄却。最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)は2009年6月30日付で上告を棄却し、期限の7月6日までに異議申し立てをしなかったため、判決が確定した。国家公務員法76条では禁錮以上の刑に処せられた者は失職すると定められており、これにより外務省を失職した。

佐藤は次の2つの容疑で起訴された。

支援委員会をめぐる背任

この2回の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いである。この疑いに対し佐藤は、支援委員会から支払をすることは通常手続きである外務事務次官決裁を受けており正当なものだった、との主張をしている。また、佐藤の上司だった当時の外務省欧亜局長東郷和彦は、「外務省が組織として実行しており、佐藤被告が罪に問われることはあり得ない」と証言している。そして、東郷は、佐藤が逮捕された時、外国にいたが、野上事務次官と電話で「こんなことが犯罪になるはずがない。何も問題はない」と話し、しかも、野上はこのことを記者会見で述べるとまでいったと佐藤の著書には書かれている[4]

北方領土支援にからむ偽計業務妨害

2000年3月に行われた国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木の意向を受け、三井物産が落札するように違法な便宜を図ったり支援委員会の業務を妨害したとの疑いである。この疑いに対し佐藤は、北方領土の事情に通じた三井物産の選定は妥当であり、鈴木の「三井に受注されればいい」との発言を三井側に伝えただけだ、と主張している。

論壇へ

一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕や背景などをつづった著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を2005年に出版すると大きな反響を呼んだ。同書などにおいて、佐藤本人は自身にかけられた一連の容疑・判決を「国策捜査」であると主張。この著書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞し、以後、新聞・雑誌などに外交評論や文化論を執筆している。  2006年より、魚住昭宮崎学らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。2009年に失職するまで「起訴休職外務事務官」を自称していた。2010年から、外務省時代の体験を元にした漫画「憂国のラスプーチン」の原作を手がける(伊藤潤二作画、長崎尚志脚本)。

政策

北朝鮮に対しては武力行使も辞さずという立場だが、媒体によってトーンの強弱を使い分けている。

レバノン侵攻イスラエル・パレスチナ紛争などイスラエルの関わる問題では、一貫してイスラエル全面支持を表明し、イスラエルと「私たちは人間としての基本的価値観を共有している」と主張している。レバノン侵攻や2006年のガザ侵攻は、ヒズボラハマスのイスラエル人拉致というテロに対する当然の行動であったと主張した。これは、北朝鮮による日本人拉致問題について、日本に武力行使を促した意味もある。また、2009年ガザ侵攻では、イスラエル擁護の理由として「停戦協定を破ったハマスの先制攻撃が原因でありイラン、ヒズボラ、アルカイダと通じてイスラエル国家を破壊しようと画策している」と持論を展開。

また、佐藤は自らや鈴木宗男の逮捕の背景の一つに、イスラエルとのインテリジェンス協力を邪魔する外務省の親アラブ派・反ユダヤ主義的グループの策謀があったと主張している[5]

小林よしのりとの論争

ゴーマニズム宣言』において、小林よしのりが沖縄戦沖縄の現状に対して連載したところ[6]、佐藤からマスコミを通じた批判が「一方的に行われた」として、小林が3ページに及ぶ佐藤への反駁をおこない、両者の間で論争が続いている。小林によれば、佐藤は『琉球新報』の連載で「沖縄は全体主義の島だ」と主張する一論客を非難。この一論客を「名指ししていないが、もちろんわしのことだ」と小林が捉えたことから両者間の論争が始まったとされる(小林が編集長を務める雑誌『わしズム』の2007年秋号のタイトルにも『全体主義の島「沖縄」』とある)。佐藤は『SPA!』に「佐藤優のインテリジェンス職業相談」を寄稿し、「ラスプーチン」と「大林わるのり」という架空の相談者を登場させ、フィクションとしての体裁を整えた上で、反撃を行った。

この争いは以後も続いているが、2人とも同じく雑誌『SAPIO』『Will』に連載を抱えていること、また、小林の佐藤批判も『SAPIO』誌上で行われたことから、佐藤は小林よりもむしろ相反する主張を同時に掲載している小学館『SAPIO』編集部の姿勢に対して批判を向けている。佐藤は論争にあたり、両者間の争点が明確ではないこと、論争相手に対し人間として最低限の礼儀がなければならないとし、これら2点が満たされていないものに関して論戦を行なわないとしている[7]。ただし佐藤も『マンガ 嫌韓流』の作者・山野車輪について「知的水準があまり高くない」と指摘している。

佐藤は「編集権の問題です。雑誌にはいろいろな長期連載があります。Aという長期連載者が、Bという別の長期連載者が書いているものはデタラメだと論評している。Aさんの言うとおりだとすれば、Bさんというデタラメな人に長期連載を書かせている雑誌編集部の責任はどうなるのか」「仮にデタラメなことを書く筆者ならば、そのような筆者を排除するのが編集部としての読者に対する責任」と述べている[7]。これに対して佐藤を批判し、のちに民事訴訟で佐藤を訴えた金光翔は、『SAPIO』に対して佐藤が「自分を取るか、小林を取るか」の二者択一を迫っていないのが不徹底であり、矛盾していると自身のサイトで論評している[8]

2008年、小林は佐藤から「言論弾圧」が加えられたとして『わしズム』の廃刊を宣言した[9]。なお、小林には過去にも宅八郎との論争の末、『SPA!』から連載を引き上げたことがある。佐藤は以前、小林について「非常に真面目な人物です。他者の言説をきちんと聞いてその内在的論理を正確に捉えようとする思想の構えがあります」[10]と語っていたが、今回の件で「それは崩れました。2年前に比べて今の小林さんは、ずいぶんと変わってしまった」と述べている[7]

人物

著作

著書

増補版〈解説:川上弘美〉(2007年11月、新潮文庫 ISBN 4104752010[21]

共著(対談)

聞き手斎藤勉産経新聞元モスクワ支局長)
太陽企画出版、2007年12月、角川文庫、2008年11月 ISBN 4884664426
副島隆彦共著)、日本文芸社、2008年12月ISBN 4537256400

訳書

雑誌連載

※ 2010年現在

漫画原作

受賞歴

出演番組

関連人物

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 琉球大学にも合格していたが、当時マルクス主義に傾倒していた佐藤を心配した親族によって、同志社大学に進学させられることとなった。
  2. ^ 日垣隆『エースを出せ!』(2004年、文春文庫)149~150頁
  3. ^ 2008年4月24日放送。
  4. ^ 田原総一朗の政財界「ここだけの話」
  5. ^ 【佐藤優の眼光紙背】第5回:守屋武昌前防衛事務次官に対する証人喚問 2007年10月30日11時00分 / 提供:眼光紙背、『SANKEI EXPRESS』 「【佐藤優の地球を斬る】「反イスラエル」強い 日本のメディア 配信元:2009/03/09 11:42
  6. ^ 『SAPIO』2008年8月20日・9月3日合併号
  7. ^ a b c 「よしりんと戦争勃発!」佐藤優ロングインタビュー 日刊サイゾー 2008年9月30日取材
  8. ^ 資料庫
  9. ^ 『SAPIO』2008年11月26日号
  10. ^ 『国家と神とマルクス』(2007年、角川文庫)
  11. ^ 『野蛮人のテーブルマナー ビジネスを勝ち抜く情報戦術』(2007年、講談社)183-184頁
  12. ^ 『AERA』2007年4月23日号
  13. ^ 『AERA』2007年4月30日号
  14. ^ 『週刊金曜日』2007年5月11日号
  15. ^ 「朝日『アエラ』スター記者が『佐藤優』に全面降伏」(『週刊新潮』2007年5月17日号)
  16. ^ 「マスコミを手玉に取る『佐藤優』の『豪腕』ぶり」『実話ナックルズRARE』(2008年11月25日発行、ミリオン出版)
  17. ^ 『en-taxi』Vol.20(2008年、扶桑社)
  18. ^ 『週刊金曜日』2009年5月29日号
  19. ^ a b 佐藤優「『改訂新版 世界大百科事典』について」、『月刊百科』第543号、平凡社、2008年1月、2010年12月28日閲覧。
  20. ^ 麻生でてこい!!リアリティツアー救援会 賛同・声明集 [1]
  21. ^ 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』|新潮
  22. ^ 新潮社での著書一覧