佚斎樗山

日本の江戸時代の剣術家

佚斎 樗山(いっさい ちょざん、万治2年3月27日1659年5月18日) - 寛保元年4月9日1741年5月23日))は、江戸時代前期-中期の武士戯作[1]。本名は丹羽十郎右衛門忠明[2]。姓は丹羽[1]。名は忠明[1]。通称は十郎右衛門[1]。別号に可渓斎[1]

経歴・人物

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下総関宿藩藩士[1]。父定信の代より下総国関宿藩の久世家に仕える[2]享保12年(1727年)刊の『田舎荘子』をはじめ、『河伯井蛙文談』『再来田舎一休』などの「樗山七部の書」を著す[2]。他に『天狗芸術論』などを著した[1]。京都の増穂残口と並び、談義本の祖とされる[2]。また熊沢蕃山の影響も指摘されている[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『佚斎樗山』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『佚斎樗山』 - コトバンク