兪 綱(ゆ こう、生年不詳 - 1478年)は、明代官僚は宗立。本貫嘉興府秀水県

生涯 編集

諸生を経て『宣宗実録』の清書にあたった。中書舎人として試用され、郕王府審理に任じられた。1449年正統14年)9月、太僕寺少卿[1]に転じた。礼部右侍郎に転じた。12月、翰林学士を兼ねた。1450年景泰元年)3月、兵部右侍郎として入閣したが、3日で内閣から退き、兵部の職に専念した。1451年(景泰2年)7月、兵部左侍郎に進んだ。1452年(景泰3年)4月[2]、太子少保の位を加えられた。1457年天順元年)、南京礼部左侍郎に転じた。成化初年、致仕した。1478年(成化14年)4月、死去した[3]

脚注 編集

  1. ^ 談遷国榷』巻28
  2. ^ 『国榷』巻30
  3. ^ 『国榷』巻38

参考文献 編集

  • 明史』巻152 列伝第40