前田 松韻(まえだ まつおと、1880年明治13年)12月 - 1944年昭和19年))は、日本建築家大連民政署の設計や、寝殿造の研究で知られる。

概要 編集

京都市生まれ。父は福井県士族前田松閣。1904年(明治37年)7月、東京帝国大学工科大学建築学科卒業[1]

日露戦争下の1904年に軍倉庫の建設に携わり、1905年2月、大連軍政署の嘱託技師、同年10月、関東都督府技師となる。在職中に大連民政署(現・遼寧省対外貿易経済合作庁)、大連の日本橋(現・勝利橋)を設計。

1907年(明治40年)10月、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科教授に就任。日英博覧会の装飾を担当し、1909年12月よりロンドンに出張。翌1910年7月、文部省より2年半の欧米留学を命じられ[2]、1913年3月に帰国。

1925年(大正15年)、東京高等工業学校教授を依願免官、講師として引続き教壇に立つ(同校は1929年大学昇格)。1931年(昭和6年)、再び東京工業大学教授に就任。1943年、同校名誉教授。

論文「日本古代邸宅ノ考究」(寝殿造リノ考究、過渡期ニ於ケル住宅平面及ビ其ノ成形状態ノ沿革的考究)により、工学博士号(1930年、京都帝国大学)を取得。寝殿造研究の泰斗とも言われる。

作品 編集

  • 大連民政署(1908年) - 日本統治下の大連で最初に建てられた官庁建築で、ゴシック風煉瓦造の時計塔を持つ。中国の文化財に指定されている(大連中山広場近代建築群参照)。
  • 加島銀行東京支店(1921年) - 日本橋にあり、後に大同生命ビルになる。現存しない。

著作 編集

  • 「寝殿造りの考究」 『建築雑誌』 41(491-492)、日本建築学会、1927年
  • 『近世住宅』(大法館、1923年)

その他 編集

  • 妻の富子は東京帝国大学農科大学教授横井時敬の長女。
  • 日本赤十字社大阪支部病院長を務めた前田松苗(医学博士)は兄にあたる。

参考文献 編集

  • 『大衆人事録』改訂13版(1940年)[1] 「マツオト」とルビが振ってある。
  • 「前田松韻君に贈れる銅碑」『建築雑誌』 27(317), 285, 1913-05-25、一般社団法人日本建築学会
  • 「前田松韻東京工業大学名誉教授ノ名称ヲ授クルノ件」(任免裁可書・昭和十八年・任免巻百三十)[2] 功績調書に経歴が記載されている。

脚注 編集

  1. ^ 産業技術史資料データベース
  2. ^ 『官報』8143号、叙任及び辞令。