前田 誠(まえだ まこと、1949年12月4日 - )は、日本のファッションデザイナー、ディレクター、作家。

まえだ まこと

前田 誠
生誕 1949年12月4日
出身校 青山学院大学
職業 デザイナー、作家
団体 Le Tabou
著名な実績

「バーグマン」の運営
「バルー」の運営
「ギャラモンド」の運営
「バレンチノ」のデザイナー

「ル・タブー」の運営
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1972年、ファッションブランド「BIGI」(ビギ)の創立期に合流。[1]マーチャンダイザー、マーケティングディレクターとして活動後、複数のブランドでディレクターおよびデザイナーを歴任。その後イタリアに渡りバレンチノ社のデザイナーに就任し、メンズコレクションなどを手掛ける。2005年よりアクセサリーブランド「Le Tabou」(ル・タブー)を主催。2018年より作家としても活動中。

来歴 編集

1949年、秋田県に生まれる。生後すぐに本牧(神奈川県横浜市)に引越し。その後、東京都に移り都立小平高校に進学。高校生のこのころから、日本デザインセンターに出入りし、資料室にあるファッションやデザイン関係の本を読み漁る。

1967年、青山学院大学入学。在学中より百貨店のプランニングなどを請負う。

1969年、大学3年生の時に東京都港区青山でスタイリストを始める。

1972年、スタイリストとして衣装を借りに行った縁で、菊池武夫稲葉賀恵・大楠裕二が設立した株式会社ビギに入社し。マーチャンダイザー、マーケティングディレクターとして活動。その後独立した「MEN'S BIGI」(メンズ・ビギ)に移る。

1974年、「MEN'S BIGI」のパリコレクション出展準備のためパリに移住。1976年にディレクターとして初のパリコレ出展を主導。その後は、マーケティングディレクターとして、全米、ヨーロッパでの開拓などを歴任。

1979年、フランスから帰国後、「MEN'S BIGI」から独立して「BERGMAN」(バーグマン)を設立[2]し、ディレクターとして活動。その後「NICOLE(ニコル)」グループにて「BARREAUX」(バルー)を設立。この時期からディレクターのみならず、デザイナーとしても活動するようになる。

1981年、「GALAMOND」(ギャラモンド)を設立[1]。日本における社会的DCブランドブームの先駆けとなる。

1987年、有栖川スタジオにて開催した「GALAMOND」のファッションショー「SPRING AND SUMMER COLLECTION 1987」[3]の写真を撮影したカメラマンが、友人であるヴァレンティノのディレクターに写真を送ったところ、その写真を見たディレクターからイタリアに呼ばれる。

1988年、イタリアに渡り、ヴァレンティノのデザイナーに就任。メンズコレクションなどを手掛ける。その後イタリア、フランスでオートクチュールの経験を経て、1991年に帰国。

1991年、「GALAMOND」時代に設立していた「有限会社マルコスデザインスタジオ」で絵型展示会によるアパレルの受注生産を開始。

1992年、MDS FACTORY <Most Dramatic Style & Scene>を設立。クリエイティブディレクターに就任。オートクチュール Tailor Maeda・Ramplissageをプロデュース。

2001年〜、FAKEDELIC、MOUSSY、SLYなどのスーパーバイザーを歴任。

2005年、アクセサリーブランド「Le Tabou」(ル・タブー)を設立。2006年よりシルバーアクセサリー&シルバージュエリーコレクションスタート。

2008年〜、「Le Tabou」と「HYSTERIC GLAMOUR」(ヒステリックグラマー)のコラボレーション開始。最終的に10,000ピース程度を販売。

2009年、オフィシャルサイト「Le Tabou」開設。

2013年、代官山「bajra」(バジュラ)にて初の個展を開催。

2018年、作家としての活動を開始。圧巻のペースで描かれる絵画、コラージュなどの作品は自身のFacebookにアップされている。

2021年、代官山BAJRA STEP GALLERYにて、平面作品としては初の個展『The last paradise of the 20th century ─ 僕の絵日記の中、2021 May 20世紀, 最後の楽園を残して ─ 』を開催。[4]

脚注 編集

外部リンク 編集