劉休倩

南朝宋の皇族。臨慶沖王。文帝の十六男

劉 休倩(りゅう きゅうせい、元嘉21年(446年)- 孝建元年4月27日454年6月8日))は、南朝宋皇族。臨慶沖王。文帝劉義隆の十六男。

経歴 編集

文帝と顔美人のあいだの子として生まれた。孝建元年(454年)4月、東平王に封じられた。受けないうちに病のため死去した。享年9。大明7年(463年)、孝武帝の二十七男の劉子嗣が東平王となり、休倩の後を嗣いだ。泰始6年(470年)、明帝の五男の劉智井が東平王となったが、受けないうちに死去した。同年9月に休倩は追って臨慶王と改封された。明帝の八男の劉躋が臨慶王となり、休倩の後を嗣いだが、翌年に本国へ帰った。

伝記資料 編集