劉子霄

中国の南北朝時代・宋の皇族

劉子霄(りゅう ししょう、461年 - 464年)は、南朝宋皇族。淮陽思王。孝武帝劉駿の二十三男[1]は孝雲。

経歴 編集

大明5年(461年)、劉駿と江婕妤のあいだの子として生まれた。大明8年(464年)、死去。死後に淮陽王に追封され、思と追諡された。

伝記資料 編集

脚注 編集