劉 贇(りゅう いん、? - 951年)は、中国五代十国時代後漢宗室で武寧軍節度使。もとの名は承贇。実父は北漢の世祖劉崇で、養父は劉崇の兄で後漢の高祖劉知遠。弟は北漢の睿宗劉鈞。子は劉継文。

劉贇
武寧軍節度使
任期
948年6月[1][2] – 951年1月[3][2]
劉贇
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音Liú Yūn
劉承贇
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音Liú Chéngyūn

劉知遠の実子の劉承祐(隠帝)の皇帝即位に伴い、避諱して名から「承」の字を省いた。

乱兵による劉承祐殺害後、権臣である郭威(後の後周の太祖)の思惑により皇帝に擁立される予定であったが、劉承祐弑殺実行者たちの反対に遭って擁立は撤回され、まもなく殺害された。

脚注 編集

参考文献 編集

先代
隠帝
五代後漢の第3代皇帝
950年(正式には未即位)
次代
断絶