加嶋三郎

大日本帝国陸軍軍人

加嶋 三郎(かしま さぶろう、1891年明治24年)7月18日[1] - 1944年昭和19年)7月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

加嶋 三郎
生誕 1891年7月18日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1944-07-18) 1944年7月18日(53歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1944年
最終階級 陸軍中将
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経歴 編集

1891年(明治24年)に山口県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1938年(昭和13年)7月15日陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍重砲兵学校教導隊長に着任[2]1939年(昭和14年)12月に陸軍重砲兵学校教官に転じ[2]1940年(昭和15年)3月に野戦重砲兵第5連隊長を経て[2]1941年(昭和16年)8月に陸軍重砲兵学校教官に戻った[2]

1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]3月25日に陸軍重砲兵学校長に着任[1]。その後指導のためにサイパン島を訪れていたが[3]1944年(昭和19年)6月26日には戦死した岡芳郎の後任として独立混成第47旅団長(トラック地区集団)に就任した[1][3][4]サイパンの戦いでは上陸した米軍に対し頑強な抵抗続けたが[1]7月18日に戦死[1][2]。同日任陸軍中将[2]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977