加藤 尹義(かとう ただよし[1]1890年明治23年)7月26日[2] - 1960年昭和35年)12月24日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

加藤 尹義
生誕 1890年7月26日
日本の旗 日本 広島県
死没 (1960-12-24) 1960年12月24日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1944年
最終階級 陸軍中将
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経歴 編集

1890年(明治23年)に広島県で生まれた[2]陸軍士官学校第23期卒業[2]1936年(昭和11年)3月に飛行第11連隊長に就任し[1]1937年(昭和12年)8月に陸軍航空兵大佐に進級した[1]1938年(昭和13年)3月に熊谷陸軍飛行学校教育隊長に転じ[1]1939年(昭和14年)7月1日に熊谷陸軍飛行学校幹事に就任し[1]8月1日に陸軍少将に進級した[1]

1940年(昭和15年)8月に第55師団司令部附となり[2]1942年(昭和17年)6月に陸軍航空整備学校長に就任した[2]1943年(昭和18年)8月に立川陸軍航空整備学校長に転じ[2]1944年(昭和19年)6月27日に陸軍中将に進級して予備役に編入された[1][2]

栄典 編集

勲章等

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 外山 1981, 301頁.
  2. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 214頁.
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026