加賀美 希昇(かがみ きしょう、1988年9月5日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元プロ野球選手投手)。

加賀美 希昇
2020年10月5日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県鎌倉市
生年月日 (1988-09-05) 1988年9月5日(35歳)
身長
体重
187 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト2位
初出場 2011年10月19日
最終出場 2014年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入り前 編集

逗子シニアで捕手を務めたが、桐蔭学園高入学後に投手へ転向。2年秋からエースとなったが、春夏とも甲子園の全国大会には出場できなかった。

法政大学人間環境学部への進学後は、硬式野球部で2年春からベンチ登録。2年秋からは主力投手になった。大学の同級生には山本翔也がいる。

東京六大学リーグの公式戦には、通算で40試合登板。1610防御率1.97、223奪三振という記録を残した。法政大学の4年生だった2010年に開かれた第5回世界大学野球選手権大会には、当初日本代表に選ばれていた中央大学澤村拓一の故障による辞退を受けて、代替選手として代表に招集された。同大会では、リリーフで3試合に登板。韓国との3位決定戦では、4番手の登板で1回を無失点に抑えて、チームの銅メダル獲得に貢献した。

2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズから2巡目で指名。11月16日に、契約金8,000万円、年俸1,200万円(いずれも推定金額)で契約した。

DeNA時代 編集

2011年、即戦力として期待されたが右肘を痛め6月に手術を行う。10月にようやく一軍に昇格。10月19日の対阪神タイガース戦ではプロ初登板初先発で6回1失点の投球を見せ初勝利を記録した[1]。6回には逆転の口火となるプロ初安打も記録している。

 
加賀美の投球フォーム
(DeNA時代の2012年4月15日、ロッテ浦和球場)

2012年8月12日にプロ入り初の中継ぎとして登板し、シーズン初勝利をあげると、8月19日中日戦では9回無失点の快投を演じ、延長で味方が逆転して2勝目をあげた[2]。この年あげた3勝は全て中日からだった。その一方で、3敗は全て巨人から喫している。

2013年、首脳陣から先発陣の一角を担うことを期待されながら、オープン戦での不調や脇腹痛で出遅れた[3]7月30日にようやく一軍へ登録されると[4]、シーズン初先発になった8月29日広島戦でシーズン初勝利[5]。しかし、次に先発で登板した9月4日阪神戦では、「いまひとつシャキッとしない投球だったので、けじめを付ける」[6]として勝利投手の権利を得る目前(5回1アウト)で監督の中畑清から降板を命じられた[7]。結局、一軍公式戦には、8試合(先発で5試合)の登板で1勝4敗にとどまった。

2014年、先発投手として一軍公式戦5試合に登板したが、0勝3敗でシーズンを終了。この成績を背景に、入団以来付けていた背番号2167に変更した。

2015年、一軍公式戦への登板機会がなく、10月4日に球団から戦力外通告を受けた。

DeNA退団後 編集

2015年11月10日に、打者3人に対するシートバッティング形式の12球団合同トライアウト草薙球場)に参加。1奪三振1与四球という内容で、打者3人を無安打に抑えた[8]が、NPBから声は掛からなかった。その後、JR西日本硬式野球部の入部テストに参加。このテストに合格し、JR西日本に入社、同部に所属することとなった[9]

JR西日本への入社後は、単身で広島支社へ赴任するとともに、経理部に籍を置く[10]2016年には、第42回社会人野球日本選手権大会へ出場。11月5日の2回戦では、JR東日本東北打線を相手に、死球と失策で2人の走者を出しただけ[10]で、ノーヒットノーランを達成した[11][12]。加賀美にとっては、野球人生で初めてのノーヒットノーランであったという[10]社会人野球日本選手権大会においては、第36回社会人野球日本選手権大会2009年)の三菱重工神戸木林敏郎以来、史上二人目のノーヒットノーランであった[11]。更に加賀美のノーヒットノーランの翌日(11月6日)には、大阪ガス猿渡真之がノーヒットノーランを記録し、二日続けてのノーヒットノーランとなっている[13]

2023年シーズン終了後に同社野球部を退部。

野球部退部後の2024年には古巣のDeNAで指導者や大人向けの野球教室において講師を務めている[14][15]

選手としての特徴・人物 編集

腕が遅れて出てくるゆったりとしたオーバースロー[16]から、最速153km/h(プロ入り後の最速は149km/h)の速球に100km/h台の大きなカーブチェンジアップスライダーで緩急をつける。チェンジアップについては、本人の弁によれば、落差が小さいという。しかし、大石達也早稲田大学時代に打者として加賀美と対戦した際に、「『ストレートだ』と思って振ったらチェンジアップだったというボールが多い」と驚くほどであった[16]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2011 横浜
DeNA
1 1 0 0 0 1 0 0 0 1.000 23 6.0 4 0 0 0 0 6 0 1 1 1 1.50 0.67
2012 10 9 1 0 0 3 3 0 0 .500 250 57.2 56 3 19 1 2 40 4 0 25 21 3.28 1.30
2013 8 5 0 0 0 1 4 0 0 .200 146 31.1 35 3 20 0 0 23 1 0 22 21 6.03 1.76
2014 5 5 0 0 0 0 3 0 0 .000 99 21.2 27 4 9 0 1 18 0 0 13 13 5.40 1.66
通算:4年 24 20 1 0 0 5 10 0 0 .333 518 116.2 122 10 48 1 3 87 5 1 61 56 4.32 1.46
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録 編集

投手記録
打撃記録
  • 初安打:2011年10月19日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、6回表に岩田稔から左中間二塁打[17]

背番号 編集

  • 21 (2011年 - 2014年)
  • 67 (2015年)
  • 17 (2016年 - )

脚注 編集

  1. ^ ルーキー1年目総括『週刊ベースボール』2011年12月26日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/26, 47頁。
  2. ^ 加賀美 9回無失点の好投報われた…DeNAが接戦制す スポニチAnnex 2012年8月19日付記事より。
  3. ^ キヨシ怒り増幅「金もらうレベルじゃ…」日刊スポーツ 2013年4月30日付記事より。
  4. ^ 【DeNA】須田、加賀美を1軍登録日刊スポーツ 2013年7月30日付記事より。
  5. ^ 【DeNA】加賀美、今季初先発で初白星日刊スポーツ 2013年8月29日付記事より。
  6. ^ 「けじめをつけた継投」/中畑監督 日刊スポーツ 2013年9月5日付記事より。
  7. ^ 中畑監督もう迷わない CSへ非情の道日刊スポーツ 2013年9月5日付記事より。
  8. ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 
  9. ^ DeNA戦力外の加賀美、社会人JR西日本へ入団」日刊スポーツ 2015年12月4日付記事より。
  10. ^ a b c “JR西の元DeNA加賀美がノーノー「勝つことが恩返し」”. スポーツニッポン. (2016年11月6日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/06/kiji/K20161106013671190.html 
  11. ^ a b “JR西・加賀美が無安打無得点 社会人日本選手権”. 日本経済新聞. (2016年11月5日). http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60339_V01C16A1000000/ 2016年11月5日閲覧。 
  12. ^ “JR西日本の加賀美が無安打無得点=社会人野球日本選手権”. 時事通信社. (2016年11月5日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016110500216&g=bsb 2016年11月5日閲覧。 
  13. ^ “大阪ガス・猿渡がノーヒットノーラン 今大会2人目、準完全の快投”. スポーツニッポン. (2016年11月6日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/06/kiji/K20161106013673820.html 2016年11月6日閲覧。 
  14. ^ ベイスターズ選手OBコーチによる「大人向け野球教室2024」を開催!”. 横浜DeNAベイスターズ. 2024年4月4日閲覧。
  15. ^ 横浜DeNAベイスターズジュニアチーム2023の監督・コーチによる指導者向け講習会を実施”. 横浜DeNAベイスターズ. 2024年4月4日閲覧。
  16. ^ a b 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、19、88-89頁。
  17. ^ a b 神奈川新聞、2011年10月20日。
  18. ^ 神奈川新聞、2012年9月3日。

関連項目 編集

外部リンク 編集