十河景滋

戦国時代の武将

十河 景滋(そごう かげしげ、 永正7年(1510年)- 永禄2年(1559年))は、戦国時代の武将。別名、存春(まさはる)。讃岐国の国人で管領細川氏に仕える三好氏と共に仕える。讃岐十河城主。十河易正の子。

 
十河 景滋 / 十河 存春
時代 戦国時代
生誕 1510年永正7年)
死没 1559年永禄2年)
改名 景滋→存春
別名 存春
戒名 未詳
墓所 未詳
官位 未詳
幕府 室町幕府
主君 細川晴元氏綱
氏族 十河氏
父母 父:十河易正(存景)、母:未詳
兄弟 景滋
正室:未詳
金光、養子:一存
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略歴 編集

1526年大永6年)、三好長慶と共に寒川元政攻略を計画するが事前に発覚し、寒川氏に急襲されて敗走する。

1530年享禄3年)頃、嫡子金光が早世。三好氏の台頭と地盤強化のため、三好長慶の末弟一存を養子に迎える。鬼十河と詠われた一存の活躍により、十河氏の勢力は拡大し、讃岐国の大半を支配した。

関連項目 編集