橘湾 (長崎県)

日本の長崎県沿岸にある湾
千々石灘から転送)

橘湾(たちばなわん)は、長崎半島の東岸と島原半島の西岸に囲まれたである。南は天草灘と連続している。地質学的にはカルデラ湾に属する。

橘湾
国道251号線雲仙市千々石付近よりのぞむ橘湾
橘湾の位置(長崎県内)
橘湾
橘湾
橘湾の位置(九州内)
橘湾
橘湾
橘湾の位置(日本内)
橘湾
橘湾
橘湾(およその位置)
座標 北緯32度43分 東経130度5分 / 北緯32.717度 東経130.083度 / 32.717; 130.083座標: 北緯32度43分 東経130度5分 / 北緯32.717度 東経130.083度 / 32.717; 130.083
上位水域 東シナ海天草灘
日本の旗 日本
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名称 編集

かつては「千々石灘」あるいは「千々石湾」と呼ばれていたが、1919年橘周太中佐の像が南高来郡千々石町(現・雲仙市千々石町)に建立された際、関係者が名称を「橘湾」に変更するよう申請し、海図作成を行っていた海軍水路部がそれを採用したため、その名称で記載されるようになった[1]

地形 編集

橘湾は地底のマグマが地表に噴出した際に陥没してできたもので、湾岸の千々石断層群とあわせて千々石カルデラと呼ばれる。海岸線は緩やかな曲線を描く。

海岸は険しい断崖が多いが、千々石など砂浜が広がる区域もある。牧島・前ノ島・向島といった島もあるが、全て海岸近くにある。最大の流入河川は島原半島西岸の千々石川、その次は東長崎地区の八郎川である。湾口は水深70m前後で、早崎瀬戸に近い島原半島南部沿岸は起伏の激しい岩礁底が広がる。しかし湾奥部では水深40m以浅で、平坦な砂泥底となる。

橘湾の地下にはマグマだまりが存在しており、雲仙普賢岳島原温泉雲仙温泉の熱源となっている。

島原地震 編集

1922年12月8日1時50分20.6秒、千々石湾の北緯32度41.6分 東経130度02.2分 / 北緯32.6933度 東経130.0367度 / 32.6933; 130.0367(震源の深さ19 km)でM 6.9の地震が発生し、長崎で最大震度5を観測した[2]。さらに同日11時2分10.7秒、北緯32度45.1分 東経130度07.5分 / 北緯32.7517度 東経130.1250度 / 32.7517; 130.1250(震源の深さ0 km)でM 6.5の地震が発生し、長崎と鹿児島で最大震度4を観測した[3]。この地域の石垣を構成する石の形状は不規則であったため、長崎県内では島原半島南部を中心に両地震を合わせて26人が死亡(うち3人は2回目の地震による)、39人が重軽傷を負った他、195棟の住戸が全壊した。天草諸島でも家屋破損などの被害が発生した。また、島原半島では最大で6 cmの隆起が発生した[4]

産業 編集

橘湾では、有明海から出てきた沿岸水と外洋水が混じり、海況の変化に富む。沿岸漁業が盛んで、巻き網によるイワシアジサバ漁、小型底引きによるエビエソ漁、釣りによるタチウオハモ漁などが行われる。また、牧島・戸石地区ではマダイトラフグなどの養殖も行われている。

ミナミハンドウイルカスナメリなどの鯨類が生息しており、付近の早崎瀬戸イルカウォッチングを楽しめる観光地となっている。

波が静かで水深もあるという点から、オイルショック後の1978年1980年にはタンカー錨泊による石油備蓄が実施されたこともある。

参考文献 編集

  • 『長崎県大百科事典』1984年 長崎新聞社(項目解説 : 森勇・有賀定彦・小野川正明)

脚注 編集

  1. ^ 通牒照会第2540号 「湾名に関する件」 長崎県公報 大正8年8月8日付
  2. ^ 震度データベース検索気象庁、2024年5月16日閲覧
  3. ^ 震度データベース検索気象庁、2024年5月16日閲覧
  4. ^ 宇佐美籠夫ほか『日本被害地震総覧599-2012』東京大学出版会、2013年、276-277頁

関連項目 編集