南通市

中国江蘇省の地級市

南通市(なんつう/ナントン-し、中国語:南通市、拼音: Nántōng英語:Nantong)は中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。2004年9月26日、第一回世界大都市発展高層論壇が南通で開催された。2005年の市内総生産の成長率は15.4%に達し、江蘇省内最大の経済成長率を記録している。2015年のGDPは6148.4億元に達し、全国で22番で、江蘇省内で4番である。2010 および 2020 年の国勢調査によると、地級市の中で最も高齢率が高い[1]

中華人民共和国 江蘇省 南通市
市街地を流れる濠河
市街地を流れる濠河
市街地を流れる濠河
江蘇省中の南通市の位置
江蘇省中の南通市の位置
江蘇省中の南通市の位置
簡体字 南通
繁体字 南通
拼音 Nántōng
カタカナ転写 ナントン
沙地語 Nietʰoŋ
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
江蘇
行政級別 地級市
市委書記 王暉
市長 呉新明
面積
総面積 8,544 km²
人口
総人口(2015) 730 万人
経済
GDP(2015) 6148.4億元
電話番号 0513
郵便番号 226001
ナンバープレート 蘇F
行政区画代碼 320600
市樹 広玉蘭モクレン科
市花 キク
古南通城の模型
中国地名の変遷
建置 五代
使用状況 南通市
五代静海軍
通州
北宋/通州
崇州(1023年)
通州(1034年)
南宋/通州
通州
通州
通州
南通州(1724年)
中華民国南通県
南通市・南通県(1949年)
現代南通市

地理 編集

南通市は江蘇省東南部に位置し、東は黄海、西は泰州、北は塩城、南は長江に面し、長江対岸には蘇州、上海が位置する。市内には狼山濠河等の名勝が位置する。

歴史 編集

南通市は長江の下流に位置する為、長江の土砂の堆積により陸地が形成され、およそ6500年前に陸地化した。5000年以上前の新石器時代の遺跡が発見され、市内の海安青墩地区では、原始氏族部落が繁栄した。五代十国時代に静海軍が設置された。後周顕徳5年(958年)都市が建設され、通州となった。北宋天聖元年(1023年)に崇州と改称された。景祐元年(1034年)に通州と改称された。

清末、実業家・教育家の張謇が当時の習慣を改め、南通に全国初の師範学校、民間博物館、紡績学校、刺繍学校、観劇学校、盲学校、気象観測所などを設置した、加えて中国人が自ら近代理念で全面的に都市建設を企画した。これらにより南通は「中国近代第一の城」と呼ばれる。

辛亥革命後、州制の廃止に伴い1912年民国元年)に州の南通県が設置された。1949年(民国38年)2月、南通県は中国共産党の実効支配下に置かれ、城区、狼山、天生港地区に県級市としての南通市が設置され蘇北行署、南通地区専署の管轄とされた。1962年に省轄市に改編、1983年に南通地区と南通市を統合し地級市としての南通市が誕生している。

行政区画 編集

3市轄区・3県級市・1県及び南通経済技術開発区を管轄する。

南通市の地図

年表 編集

この節の出典[2][3]

蘇北行署区南通専区 編集

蘇北行署区南通市 編集

江蘇省南通市(第1次) 編集

  • 1953年4月13日 (6区)
    • 城南区が城東区に編入。
    • 城中区が城西区に編入。
  • 1954年12月3日 - 鍾秀区・蘆涇区・狼山区が合併し、郊区が発足。(4区)
  • 1955年11月 (4区)
    • 城東区・城西区が合併し、城区が発足。
    • 唐閘区の一部が分立し、港口区が発足。
  • 1955年12月 - 城区・港口区・唐閘区が郊区に編入。(1区)
  • 1956年6月 - 郊区を廃止。(1市)
  • 1958年9月19日 - 南通市が南通専区に編入。

江蘇省南通地区 編集

  • 1956年4月14日 (7県)
    • 如東県・如皋県の各一部が南通県に編入。
    • 如東県の一部が海安県・如皋県に分割編入。
  • 1956年7月25日 - 如皋県の一部が南通県に編入。(7県)
  • 1957年11月29日 - 南通県・如皋県の各一部が合併し、通如県が発足。(8県)
  • 1958年8月31日 - 通如県が南通県・如皋県に分割編入。(7県)
  • 1958年9月19日 - 南通市を編入。南通市が県級市に降格。(1市7県)
  • 1958年11月21日 - 崇明県が上海市に編入。(1市6県)
  • 1959年11月 - 南通県の一部が南通市に編入。(1市6県)
  • 1962年6月25日 - 南通市が地級市の南通市に昇格。(6県)
  • 1964年8月18日 - 南通市の一部が南通県に編入。(6県)
  • 1966年7月18日 - 南通市の一部が南通県に編入。(6県)
  • 1970年 - 南通専区が南通地区に改称。(6県)
  • 1979年7月13日 - 南通県の一部が南通市郊区に編入。(6県)
  • 1983年1月18日 - 南通県・海門県・啓東県・如東県・如皋県・海安県が南通市に編入。

江蘇省南通市(第2次) 編集

  • 1964年8月18日 - 南通市の一部が南通専区南通県に編入。(1市)
  • 1966年7月18日 - 南通市の一部が南通専区南通県に編入。(1市)
  • 1979年3月19日 - 城中区港閘区郊区を設置。(3区)
  • 1979年7月13日 - 南通地区南通県の一部が郊区に編入。(3区)
  • 1983年1月18日 - 南通地区南通県海門県啓東県如東県如皋県海安県を編入。(3区6県)
  • 1983年2月16日 - 城中区・港閘区が合併し、城区が発足。(2区6県)
  • 1989年11月13日 - 啓東県が市制施行し、啓東市となる。(2区1市5県)
  • 1991年2月6日 - 如皋県が市制施行し、如皋市となる。(2区2市4県)
  • 1991年5月6日 (2区2市4県)
  • 1993年1月8日 - 南通県が市制施行し、通州市となる。(2区3市3県)
  • 1994年4月26日 - 海門県が市制施行し、海門市となる。(2区4市2県)
  • 2009年3月23日 - 通州市が区制施行し、通州区となる。(3区3市2県)
  • 2018年2月22日 - 海安県が市制施行し、海安市となる。(3区4市1県)
  • 2020年7月17日 (3区3市1県)
    • 崇川区・港閘区が合併し、崇川区が発足。
    • 海門市が区制施行し、海門区となる。

経済 編集

南通市の基幹産業は港湾業であり、また紡績業、各種加工業も発展しており、 多くの日系企業が独資、合弁で進出している。

2015年のGDPは6148.4億元になって、全国で22番目で、江蘇省で4番目である。

交通 編集

航空 編集

1993年、南通市北部の通州市興東鎮(市内より18キロメートル)の場所に南通興東空港が開港し、北京、西安、広州、武漢、台北などの都市間に定期便が就航している。 また2016年から、日本(大阪、名古屋)、韓国(仁川)、タイランド(バンコク)などの国際定期便が就航している。

鉄道 編集

鉄道は泰州揚州南京と連絡する寧啓線中国語版淮安と連絡する支線が海安県で交差している。南通駅は2005年に拡張工事が実施され輸送能力が強化されている。2014年海安県と洋口港と連絡する海洋鉄道線を運営した。2014年から、上海と連絡する滬通鉄道線を建設している。2016年7月13日、南通市内を通過する京滬高速鉄道東線の建設が発表された。 地下鉄である南通軌道交通も開通しており、1号線が営業中、2号線が2023年開業予定となっている。

道路 編集

2008年世界最大の斜張橋である蘇通長江公路大橋により長江対岸と連絡され、それまでフェリーによる水上輸送に依拠していた両岸交通に飛躍的な改善が行われている。2011年南通と上海と連絡する崇啓大橋を渡った。旅客輸送では長距離バスが省内各地と省外の主要都市を連絡している。G204国道が通り海安県でG328国道と接続する。

水運 編集

南通港は長江下流の主要港湾として、現在は天生、南通、狼山の3港湾区及び青竜、啓東の埠頭を有している。洋口港は南通東海の深水港として建設している。南通港の岸壁の長さは4110.8メートルになり、1万トン級以上の貨物埠頭が7箇所、千トン級以上の埠頭が19箇所、客運用の埠頭が5箇所、港湾作業船用の作業埠頭が5箇所、更に内航水運専用の千トン級以下の小規模埠頭が18箇所設置されている。貨物積み下ろし用施設が2箇所、石油積み下ろし用施設が1箇所、鉱石積み下ろし用施設が1箇所設置され、また係留用のブイが10箇所設置されている。


観光スポット 編集

 
濠河の夜景
 
南通博物苑

特産品 編集

教育 編集

中学教育 編集

 
江蘇省南通中学

南通市は中国で「基礎教育の郷」と称される。また中国教育界では「高考の結果は江蘇省を、江蘇省の高考の結果は南通市を見よ」との言葉があり、全国普通高等学校招生入学考試での江蘇省は全国1位、その中で南通市は10年連続で江蘇省1位であり、毎年一校より10数名から20数名が清華大学北京大学に合格している状況を表している。

中学 編集

  • 南通中学
  • 南通市第一中学
  • 南通市啓秀中学
  • 南通市新橋中学
  • 南通市天星湖中学
  • 南通市天生港中学
  • 南通市第三中学
  • 南通市第二中学
  • 江蘇省栟茶高級中学
  • 江蘇省海安高級中学

大学・技術学院 編集

  • 南通大学:2004年5月、南通医学院、南通工学院、南通師範学院が合併して総合大学となった。
  • 南通理工学院
  • 南通職業大学
  • 南通紡績職業技術学院
  • 南通航運職業技術学院
  • 南通広播電視大学
  • 南通師範学校
  • 南通農業職業技術学院
  • 江蘇商貿職業技術学院

有名人 編集

近代 編集

  • 張謇:清末の科挙合格者、実業家、教育家。清末期は君主立憲派の指導者
  • 易作霖:民初の言語学者、教育者、慈善家

現代 編集

芸術家、科学者 編集

政界 編集


スポーツ 編集

方言 編集

南通の方言はきわめて複雑である。理由として南通が交通の要衝であり、各時代に移民がきた歴史と関係する。また、呉語圏の最北端(言語境界)地域と言われている。

  • 西部・北部地区の海安・如皋および如東の大部分の地区の方言は江淮官話泰如片に属し、その中には如東東部地区とその他地区で二種類に分けられ前者を如東話、後者を如海話と呼ぶ。
  • 南通市区(及びその郊外)の方言は南通話と呼ばれ、通常、江淮官話泰如片に入れられる。しかし、前者と南通話との交流はできない(ゆえに南通話を単独方言と看做す人もいる)。
  • 通州の主要な方言はその他に呉方言通東話金沙話である。その中で、金沙話は通東話と江淮官話、南通話の混ざった方言でありその他二種の呉方言との意思疎通は困難である。
  • 啓東・海門の南部、如東沿海地区の一部は呉方言の一つ、啓海話沙地語)である。
  • 啓東海門の北部と通州の一部は通東話を話す。通東話は呉方言毗陵小片に属し、南通東部地区の最初の方言から発展して来たものである*南通話の形成と発展は目下、言語学上の権威的な論述がないが、通東話と啓海話は異なる時期に江南から来た移民が持ってきたものと考えられている。

このように南通には多くの方言があり、方言混在地区では一人が2種類以上の方言を話すことが出来るため、会話の際に相手の方言を話すことが珍しくない。

友好都市 編集

国際友好都市

脚注 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯31度59分 東経120度54分 / 北緯31.983度 東経120.900度 / 31.983; 120.900