吉田照美

日本のアナウンサー、タレント

吉田 照美(よしだ てるみ、1951年昭和26年〉1月23日[1] - )は、日本男性フリーアナウンサータレント。元・文化放送アナウンサー。退社後は有限会社 吉田照美事務所(個人事務所)→ 西本商会 → アミューズ → アワーソングスクリエイティブ(ケイダッシュ グループ)を経て、現在はブランニューミュージック(ケイダッシュ グループ)所属。

よしだ てるみ
吉田 照美
プロフィール
出身地 日本の旗 日本東京都葛飾区
生年月日 (1951-01-23) 1951年1月23日(73歳)
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学政治経済学部
所属事務所 ブランニューミュージック
職歴 元・文化放送アナウンサー
活動期間 1974年 -
配偶者 あり
出演番組・活動
出演中伊東四朗・吉田照美 親父熱愛
TERUMI de SUNDAY!』など
出演経歴セイ!ヤング
吉田照美のてるてるワイド
吉田照美のやる気MANMAN!
吉田照美 ソコダイジナトコ
吉田照美 飛べ! サルバドール』など

来歴 編集

東京都葛飾区出身。血液型O型

江戸川区立小岩第三中学校東京都立小岩高等学校を経て1年浪人の末、早稲田大学政治経済学部経済学科入学、学生時代はアナウンス研究会に所属。

文化放送入社 編集

就職活動では経済学科だから銀行に就職しようと考えていたが一般企業の就活はせず、受けられる放送局のアナウンサー試験をすべて受験、最終的にニッポン放送文化放送の最終面接の三人に残ったが、ニッポン放送は落ち、最後に残った文化放送に内定した[注 1]

1974年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。大相撲が好きな事から、当時の人気番組『大相撲熱戦十番』の支度部屋リポートを担当。

その後、1975年 - 1980年、平日夕方の帯ワイド番組『桂竜也の夕焼けワイド』の外中継コーナー「夕焼けトピッカー」のリポーターを担当。オペラを唄いながら商店街を歩き、女性とデートする、目隠しをしながら腰に手拭いを巻いて[注 2]、銭湯の女湯に潜入する等、誰もやらない・恥ずかしい・それでいてラジオを聴いているリスナーが笑い転げる企画を多数展開していた。

セイ!ヤング 編集

1978年4月、深夜放送セイ!ヤング』のパーソナリティに抜擢された。当時の深夜放送はブームは既に過ぎていたが、ここでも『夕焼けワイド』同様、スタジオの中で料理を作ったり、本当に湯を張って風呂に入ったりするなどの『照美の独身貴族四畳半』[2]、『今週のおすすめポルノ』[2] など誰もやらない、バカバカしい企画を敢行。

ある日の夕方、当時の国鉄中央本線各駅停車の車内に現れ、空のビールジョッキを手に持ちながら、放送で呼びかけたリスナー数十名と一緒に乾杯の音頭を叫び、乗客の反応を窺う「乾杯おじさん」。当時の東京大学一次試験合格発表日当日、受験生を装いながら学生服姿で登場し、友人の受験生数名(実は番組スタッフ)と一緒に胴上げした姿がNHK7時のニュースで放送された「ニセ東大胴上げ事件」などの企画があった。「ニセ東大胴上げ事件」は賛否両論(そもそもの騒ぎが不謹慎といった論調や、権威主義を批判するマスコミが東大合格を報道する矛盾を気付かせてくれた、など)あるなか、永六輔が、TBSラジオの自身の番組で「隣の局(文化放送)の吉田という若いアナウンサーが、バカな事をやってて面白かった」と称賛した[3]

神田明神で行われたガマン大会にふんどし一丁で参加して、氷水を頭から浴びた姿が、テレビのワイドショーで流れた[4]。このガマン大会に対して北の湖から怒りを買ってしまった(後述)[5]

当初は水曜担当で、裏番組の『タモリのオールナイトニッポン』が人気を博していた事から「どうせ誰も聴いていないから、自分のやりたい事をやろう」と開き直った結果、口コミで徐々に人気となり、最終的に2年半続いた(1978年4月 - 1980年3月は水曜、1980年4月 - 9月は金曜担当)。

エンディングのフリートークから、提供クレジットまでのBGMには都倉俊一グランド・オーケストラの演奏による「リヨンの星座」が使用された。

てるてるワイド 編集

『セイ!ヤング』で注目されたのち、1980年10月6日開始の番組『吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』のパーソナリティに抜擢された[注 3]。当時、文化放送の夜の若者向け時間帯(ヤングタイム)の番組は、ライバル局のニッポン放送、TBSラジオに聴取率で後塵を拝し、低迷していた。『てるてるワイド』はこの時間帯を立て直すべく企画された。

それまでの夜ワイドの常識・既成概念を打破した内容と、1980年代前半のアイドルブームの波に上手く乗った事[注 4] が要因となり、首都圏の中高生に絶大な人気を博し、東京キー局の夜ワイドのイニシアティブを数年に渡り、ニッポン放送(『大入りダイヤルまだ宵の口』)から奪った。同時に、照美の人気も上がっていった。

テレビに進出 編集

1985年4月、同社を退社[注 5]。フリーアナウンサーとなり、テレビに進出した。退職理由は「この春にアナウンス部が廃止され、将来に不安を感じて…」(1985年春頃「週刊TVガイド」のインタビュー)[注 6][注 7]。転身に際し、文化放送との軋轢があった。転身直後に、フジテレビで平日午前の帯番組『吉田照美のてるてるTOKYO』の司会を担当する予定だったが、同社との交渉が決裂。弁護士を立てて再度交渉に臨んだが、番組開始までに間に合わず頓挫した[6]。結果、同枠は荒川強啓の司会で『荒川強啓のらくらくTOKIO』として開始した。フジの平日午前帯番組司会は、14年後の1999年に『どうーなってるの?!』で実現する。

夕やけニャンニャン』(フジテレビ)、『11PM』(日本テレビ)、『ぴったし カン・カン』(TBS)の司会を務めた。『夕やけニャンニャン』は個性的な出演者(とんねるず田代まさしなど)が(演出上において)好き勝手にやっている中で、一人だけ番組進行を保つ「学級委員」的なキャラで、番組内ではあだ名の「ロバ[注 8] と、出演者や観覧客に揶揄されて呼ばれていたが、番組の良心的存在であり、親しまれた。

やる気MANMAN! 編集

1987年4月、平日昼の帯ワイド『吉田照美のやる気MANMAN!』を、2007年3月まで20年にわたって担当。『セイ!ヤング』『てるてるワイド』で培ったノウハウを生かし、その基盤を磐石なものとする。番組開始後の1988年に結婚。1990年代、日本テレビの番組『進め!電波少年』で、「渋谷のチーマーを更生させよう」のコーナーでチーマーを更生させたい芸能人を番組が募集したところ,吉田が名乗りを上げ,松村邦洋とともに、渋谷ロケを敢行。チーマーの標的となった松村を擁護、チーマーらとの対話を実現する。

新キャラクター 編集

ラジかるッ』(日本テレビ)では2006年10月から番組の終了まで、「DJ TERU(ディージェイ・テルー)」と称して、新しいキャラクターを演じていたが、かつて『夕やけニャンニャン』で共演していた、司会の中山秀征にはあだ名の「ロバ!」で呼ばれる事が度々であった。

フリーアナウンサー、タレント以外にも、2006年7月19日小島嵩弘とのユニット「YK型」(ワイ・ケーけい。吉田・小島の頭文字)のファーストシングル『卍固めでTurn The Night』をリリースした。小島は以前から『吉田照美のやる気MANMAN!』で、ピンチヒッターを務めていた。

2006年10月20日、公式ウェブサイト開設 [1]。YK型としての活動や、ラジオアナウンサーとしての活動、Tim Yoshidaとしての直筆絵画の作品紹介などが公開されている。

2007年12月17日、文化放送とニッポン放送が共同で「ストップ!飲酒運転キャンペーン」を実施するにあたり、8:00から5分間『吉田照美 ソコダイジナトコ』とニッポン放送の『上柳昌彦のお早うGoodDay!』と相互乗り入れを行った。ニッポン放送の電波に登場したのは1991年の『ゆく年くる年』以来。

2017年3月をもって『吉田照美 飛べ! サルバドール』が終了。本番組の終了に伴い、文化放送アナウンサー時代から36年半続いてきた文化放送の平日帯番組への出演が終了した。翌4月からはこれまで出演経験のなかったFM局でのレギュラー出演を開始し、bayfmJFNの番組に出演している。

2017年8月23日8月24日にニッポン放送『高嶋ひでたけのあさラジ!』にゲスト出演。同局番組に初出演する。他にも同年6月に、NHKラジオ『ごごラジ!』にゲスト出演。番組内では進行役の神門光太朗アナウンサーに「キャンディ乞うたろう」と命名する。

2018年1月3日TBSラジオで『生島ヒロシと吉田照美のRoots66』に出演した[7]

人物 編集

  • 面長、メガネ、横分けの髪型が特徴。文化放送の在局中はメガネをかけておらず、『てるてるワイド』担当時は髪にパーマをかけ、パーマヘアをやめた後は中央で分けていたことがある[8]。2018年頃からは髪型はそのままに金髪に染髪している。
  • 近藤真彦が『夜の放課後 マッチとデート』を担当していた当時、付けたあだ名はロバ[9]。『夕やけニャンニャン』や『ラジかるッ』で散々「ロバ」と弄られてはいるがそもそもの発端は近藤によるものであり、さらに定着。
  • 浪人時代に暗くなってしまい、人前で喋る事ができない、赤面恐怖症対人恐怖症になってしまった[10]。克服するために大学でアナウンス研究会に入部した。
  • 放送作家小山薫堂日本大学在学中『てるてるワイド』でADを務め、その後、照美の個人事務所に所属。マネージャーを兼務していた[注 9]
  • 文化放送の入社試験(二次)では、試験官の一人であったみのもんたから「ラ行が弱いね」と指摘された[11]
  • テレビではラジオとは違い、遠慮したような態度が目立った。本人は「ラジオとテレビで態度が違うのは、当然」と開き直っている[12]
  • 文化放送の夜ワイド番組を担当していた当時、ニッポン放送で、裏番組のパーソナリティだった三宅裕司とは、長年、同じ事務所の(アミューズ)所属であった。
  • 極度な音痴である事で知られ『アナウンサー対抗歌合戦』では毎回、調子外れな歌を披露するのが恒例だった[4]
  • 趣味は油絵。社会風刺を盛り込んだ画風で、個展もたびたび開催している。
  • 北の湖から嫌われていた。ある時にたまたま支度部屋のテレビで、吉田が番組の企画で氷水を頭からかぶって大騒ぎする映像が流れていた。それを見ていた北の湖はちょうど『大相撲熱戦十番』の取材に訪れる吉田の顔を覚えていたくらいの頃で、北の湖は「よく俺のそばに来る若いヤツだな。このバカを俺に近づけるな」というお触れを付き人に回していた。他にも、高見山がマイクをかじるという形でリアクションを取ってくれた際に、いい仕事をしたと調子に乗って北の湖に「今日はどんな作戦で?」と言ってマイクを向けたら鼻息で「フン!」と返され、取り付く島もないため「相当、気合が入っています」とごまかして切り抜けた。後から付き人に「照美さん、あともう一言、声をかけていたら殴られていましたよ」と言われた[13]
  • ガッツ石松に「照美」という名前を酷評され、俺の名前を使えと「ガッツ吉田」と名乗っていた時期があった、のちにリスナーから募集した「ルミちゃん」と名乗った[14]。これに伴い「ルミちゃん音頭」も誕生した。

現在出演中の番組 編集

ラジオ 編集

テレビ 編集

過去に出演していた番組 編集

ラジオ 編集

ラジオドラマ 編集

テレビ 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

舞台 編集

  • リーディング公演「HAKUTO〜白兎(しろうさぎ)〜」(2015年10月、博品館劇場) ※ 公演企画も担当[19]

CM 編集

声優 編集

著書 編集

  • 『いななくぞ このやろう! ― 吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』文化放送 編. 小学館, 1981.12
  • 『美・10代』旺文社, 1984.10
  • 『吉田式 グングン会話術 言葉の10倍 気持ちが伝わる』芸神出版社, 1996.6
  • 『バルサの翼』(アーティストによる絵本シリーズ さく・え. ランダムハウス講談社, 2007.4
  • 『ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ』(2013年11月、ぴあ ISBN 978-4-8356-1864-7
  • 『「コミュ障」だった僕が学んだ話し方』集英社新書 2017.12

共著・監修 編集

  • 『アンタが神様! 吉田照美の流行神々見聞録』長谷川勝士共著、近代映画社, 1987.6
  • 『好感度二重丸 自己紹介 ― 1分であなたを最大限にアピール!』監修、大泉書店, 1999
  • 『使える短いスピーチ ― 要領よくまとめるコツ・人を魅きつける話術』監修、大泉書店, 1999.10
  • 『親父熱愛(オヤジ・パッション) part.1・2』 伊東四朗水谷加奈共著、講談社文庫, 2002.12
  • 『賞味期限知らず』アーサー・ビナード共著、小学館, 2008.11

ディスコグラフィ 編集

  • 「ルミちゃん音頭」
  • 「そうさ エトランゼ」
  • 「哀愁のルミちゃん」
  • 「銀河放送局GRSQ」
  • 「夫婦茶碗」(1986年) - ザ・リリーズとのデュエット曲
  • 「浮気道(うわきどう)」(1997年) - 小俣雅子とのデュエット曲
  • 「愛よ! 倹しき者たちに、絶え間なく降りそそげ!」(2012年11月9日、ミニアルバム)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 文化放送の最終面接に合格した場合、面接翌日に電話があるとのことで、翌日は電話が掛かって来るのを朝から晩まで待っていたが、“アシタ、オイデコウ ブンカホウソウ”の電報が届き、合格を知った。自宅の電話が鳴らなかったのは故障していたため。『東京新聞』2020年9月3日朝刊 最終面「私の東京物語 吉田照美 第5話」
  2. ^ 『Please テルミー! マニアックさん。いらっしゃ~い!』第1回で、吉田照美が発言した。番組で、照美とパートナーの秀島史香のWikipedia記事について、間違いがあるか?を検証した
  3. ^ 後に「吉田照美のてるてるワイド」→「新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな」と番組タイトルが変更。
  4. ^ 番組内では、近藤真彦野村義男松田聖子が担当する箱番組が内包されていた
  5. ^ 2017年4月20日、『伊集院光とらじおと』にゲスト出演した際に発言した。「(吉田照美のふッかいあなのパーソナリティを務めていた)1985年4月一杯まで(文化放送に)いれば、円満退社だから」と局の上層部から言われたとの事
  6. ^ 伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)にゲスト出演した際に「番組の聴取率が上がらない事に対しての責任の大部分を被せられそうになったので、先に辞めると告げた」とコメントしている
  7. ^ てるてるワイド内では、照美のフリー転向を勝手に見込んだ「フリーの金曜日」企画があった
  8. ^ 「ロバ」というあだ名は後述の通り『夜の放課後 マッチとデート』で、近藤真彦によって命名されたもので『夕やけニャンニャン』のオリジナルではない
  9. ^ 小山は、元マネージャーだった事を長らく公表しておらず、照美は「かなり気に入っていない」と言及したこともあったが、2007年8月から、首都高速道路と民放ラジオ5社(TBSラジオ、ニッポン放送、文化放送、TOKYO FMJ-WAVE)が共同で展開している「東京スマートドライバーキャンペーン」の文化放送版 ラジオCMで共演している。また、小山がパーソナリティを務める『FUTURESCAPE』(FMヨコハマ)のスタジオを、照美の子息が見学。小山が番組で披露した。文化放送のフリーペーパー『fukuMIMI』2013年3月号の特集「祝! アナウンサー生活40周年 吉田照美伝説。」では『てるてるワイド』時代の照美伝説を語っている
  10. ^ てるのりのワルノリに内包しているコーナー番組。放送時間は毎週土曜 12時25分 - 12時35分
  11. ^ 2010年10月6日放送の「ときめきインタビュー」のゲストとして出演
  12. ^ 在阪ラジオ局では、初のレギュラー番組
  13. ^ TBSラジオとBS-TBSのコラボレーションで展開する番組。2017年6月 - 9月の月1回、ラジオ版をTBSラジオで放送した後、テレビ版をBS-TBSで放送した
  14. ^ ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 絶対に笑ってはいけない温泉旅館』(日本テレビ系)の中で、浜田雅功山崎邦正田中直樹を笑わせる為に制作された、架空のラジオ番組
  15. ^ 2010年5月21日「八代亜紀」の回で、ゲスト出演
  16. ^ 乙葉なべやかん、文化放送の太田英明寺島尚正両アナ、伊東四朗らのほか、照美本人も「総務の男」役で出演。エンディングテーマは井上陽水のアカペラによる「エリーゼのために

出典 編集

  1. ^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、9頁。NDLJP:12276264/5 
  2. ^ a b 明星 1978年8月号 p.138
  3. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 80頁
  4. ^ a b ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 85頁
  5. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 86頁
  6. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 127頁、128頁
  7. ^ TBSラジオ(2018年1月3日)
  8. ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年3月号「ラジパラレトロ写真館 第2回 文化放送 吉田照美編」(p.20 - 23)より
  9. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 110 - 113頁
  10. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 19 - 20頁
  11. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 36頁
  12. ^ ラジオマン 1974 - 2013 僕のラジオディズ 130 - 133頁
  13. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.4 59頁から61頁
  14. ^ ラジオライフ』第2巻第5号、三才ブックス、1981年7月1日、11頁。 
  15. ^ 吉田照美が月イチ限定企画でTBSラジオに復帰!”. TBSラジオ (2017年6月9日). 2017年8月14日閲覧。
  16. ^ “吉田照美、主演映画「ロバマン」主題歌歌う! 11・6シングル発売”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2019年8月24日). https://www.sanspo.com/article/20190824-PTAXFKHKMVIKBKNOCD7ST6HFWY/ 2019年10月12日閲覧。 
  17. ^ 【速報】もふもふタマキン♂映画『タヌキ社長』トカナ配給で5月公開&予告編解禁!(河崎実 最新作)”. TOCANA. 2022年2月16日閲覧。
  18. ^ 映画『電エースカオス』公式サイト”. 映画『電エースカオス』公式サイト. 2024年1月7日閲覧。
  19. ^ 中山美穂「朗読劇」初挑戦 吉田照美が企画&共演”. 日刊スポーツ (2015年8月26日). 2015年8月26日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集