周 娥皇(しゅう がこう、936年 - 964年)は、南唐李煜の最初の后。司徒周宗の長女。妹の小周后と区別するため大周后と呼んでいる。

周皇后
南唐の国后
在位 建隆2年7月29日 - 乾徳3年11月2日
961年9月11日 - 964年12月8日

全名 周娥皇
別称 昭恵后
出生 天祚2年(936年
死去 乾徳3年11月2日
964年12月8日
埋葬 懿陵
配偶者 後主
父親 周宗
小周后
子女 李仲寓
李仲宣
高陽公主
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生涯 編集

妹とともに国中で一番の美人姉妹として有名だった。聡明で才知があり、史書を通じた、また鳳蕭と琵琶を初めとした音楽の才能にも優れていた。

建隆2年(961年)に皇后に立てられた。李煜は娥皇を非常に寵愛し、彼女の美貌を「煙軽麗服,雪瑩修容。繊眉范月,高髻凌風」と記したという。李煜との間に李仲寓・李仲宣・高陽公主を出産した。

しかし、次男の李仲宣は早世した。娥皇は悲しみ、自身も病気になった。重態に陥った時、宮中で妹の姿を見つけ「いつ来ましたか?」と問われたため、それに対し妹は「数日前に来たのです」と答えた。そのことから夫と妹の密通を悟り、怨恨を抱くようになり、体調を崩して死去となっている。昭恵と諡し、懿陵に葬られた。

李煜は娥皇の死を深く悲しみ、「鰥夫煜」と自称して『衣昭恵周后誄』など詩数首を作り、哀悼の意を表した。