和漢朗詠集永済注』(わかんろうえいしゅうえいさいちゅう)は、永済によって編まれた『和漢朗詠集』の注釈書

作者の永済を、戦国時代の西生永済とする説があったが、近年の研究により否定されている[要出典]。牧野和夫によれば、鎌倉時代前期に、多武峰で活躍した僧で、『扶桑蒙求』『扶桑蒙求私注』『千金秘訣和哥義抄』『多武峰縁起』などの著者と同一ではないかとしている。『和漢朗詠集永済注』は、『源平盛衰記』に引用されている。また、先行する『和漢朗詠集』の注釈書である『和漢朗詠註抄』にも引用されている。したがって、成立時期は鎌倉時代中期以前と考えられる。鎌倉時代以前に遡り、院政最末期の1170年代とする説(山崎誠)もある。片仮名交じりの和文体で書かれていることから、漢学の入門者や初学者を対象とした注釈書であると考えられている。北村季吟が刊行した『和漢朗詠集註』は、『和漢朗詠集永済注』をもとに、和歌の注を加えたものである。

参考文献 編集

  • 牧野和夫 「中世の太子伝を通して見た一、二の問題(2)―所引朗詠注を介して、些か盛衰記に及ぶ―」『中世の説話と学問』 和泉書院、1991年
  • 黒田彰 「室町以前〈朗詠注〉書誌稿」『中世説話の文学史的環境』 和泉書院、1987年
  • 山崎誠 「「和漢朗詠抄注」後考」『中世学問史の基底と展開』 和泉書院、1993年
  • 三木雅博 「鎌倉前期における和漢朗詠集注釈の展開―『和漢朗詠集私注』から『和漢朗詠集永済注』『和漢朗詠註抄』へ―」『和漢朗詠集とその享受』 勉誠社、1995年

関連項目 編集