喜多川歌麿 (2代目)

江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。恋川春町の門人、後に初代喜多川歌麿の門人。行町→師の春町の没後二代目春町→歌麿門下で師の二代目歌麿を称した。

二代目 喜多川歌麿(にだいめ きたがわ うたまろ、生没年不詳)とは、江戸時代後期の戯作者浮世絵師

喜多川歌麿 (2代目)
ヒト
性別男性 編集
国籍江戸幕府 編集
読み仮名こいかわ ゆきまちにだいめ きたがわ うたまろ 編集
生年月日不明な値 編集
死亡年月日1831不明な値 編集
職業戯作者浮世絵師 編集
師匠喜多川歌麿恋川春町 編集
ジャンル美人画 編集
コレクション所蔵者国立世界文化博物館ニューヨーク公共図書館版画コレクション 編集
作者の著作権状態著作権保護期間満了 編集

来歴 編集

恋川春町の門人、後に初代喜多川歌麿の門人となる。通称は小川市太郎(または北川鉄五郎とも)といった。李庭亭幸町、雪町、梅雅堂などと号す。初めは戯作者の恋川春町に戯作の師事を受ける。師の春町の没後二代目春町を称し、戯作者として寛政7年(1795年)に2種の黄表紙を執筆している。その後に歌麿の門人となり、文化3年(1806年)に歌麿が没すると、その妻に入夫して二代目歌麿を称したという。絵師としては版本の挿絵や大判錦絵を手がけた。その画風が晩年の初代歌麿の作品と極めて似ているので「歌麿」落款の錦絵、肉筆浮世絵ともに見間違いやすいが、極め印が文化3年9月以降のものについては二代目歌麿の作として見分けられる。活動期は天保2年(1831年)に二代目春町の名で戯作本を出しているのが最下限であり、このころまで存命だったと見られる。弟子に盛岡藩士の田口森蔭(藤長)など。

石田泰弘は二代目歌麿の複数説を唱えている。[1]

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ 石田泰弘「二人の二代喜多川歌麿」 福岡市美術館編『大歌麿展』公式図録(テレビ西日本、1998年1月6日)に収録。
  2. ^ 東京都立図書館デジタルアーカイブ 木曽冠者源義仲及其一門”. 東京都立図書館. 2019年2月27日閲覧。
  3. ^ 木曽冠者源義仲と諸将”. 岐阜県博物館. 2019年2月27日閲覧。

参考文献 編集

  • 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※近代デジタルライブラリーに本文あり。52コマ目。
  • 藤懸静也 『増訂浮世絵』 雄山閣、1946年 161頁 ※近代デジタルライブラリーに本文あり。
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年 ※115頁
  • 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年

関連項目 編集