国家社会主義自動車軍団

国家社会主義自動車軍団(こっかしゃかいしゅぎじどうしゃぐんだん、ドイツ語: Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps、略称NSKK)は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党機関のひとつ。 ナチス自動車隊[1]ナチ自動車運転者団とも[2]

NSKK旗
NSKKのシュタンダーテ(方形旗章)
ポーゼンで交通整理するNSKK団員

概要 編集

1930年突撃隊(SA)内部に結成された「Nationalsozialistisches Automobilkorps、略称NSAK」が1931年に「Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps、略称NSKK」に発展改組されて誕生した。ドイツ語の「Automobil」は日本語では「自動車」、「Kraftfahr」は「自動車(Kraftfahrzeug)によって走行・移動すること」を意味するが、後者の「Kraftfahrzeug」にはオートバイをも含めた「発動機付き車輌」の総称というニュアンスがあり、より範囲が広い単語である。1934年には団員数が1万人を超え、さらに突撃隊が長いナイフの夜事件で衰退したことで、国家社会主義自動車軍団の突撃隊からの独立が認められた。

この組織の主要な任務は団員になった者に自動車やオートバイの運転技術やメンテナンス技術を教えることであった。ドイツ各地の道路沿いにある自動車運転者の援助をする機関でもあった。当時のドイツでは運転技術を持つ者は大変貴重であった。

入団に際して運転免許あるいは何らかの自動車の知識が必要となることはなかった。ただしナチ党の組織であるので人種主義に基づく審査は存在し、アーリア人種であると認められなければ入団はできなかった。

第二次世界大戦開戦後は団員の多数がドイツ国防軍の兵站部隊に回された。彼らは兵站の自動車化に貢献した。しかし、依然としてドイツ軍の兵站は馬に頼るところがほとんどであり、全体的な自動車化は成されなかった。

国家社会主義自動車軍団には突撃隊や親衛隊とほぼ同様の階級が存在しており、軍団のトップは軍団指導者(Korpsführer)という階級であった。1934年から1942年に死去するまでアドルフ・ヒューンラインがその地位にあった。ヒューンラインの死後はエルヴィン・クラウスde:Erwin Kraus)が軍団指導者となった。

戦後、連合国によるニュルンベルク裁判により「有罪組織(condemned organization)」と認定された(ただし親衛隊(SS)と違い「犯罪組織(criminal organization)」の認定は受けなかった)

制服 編集

脚注 編集

  1. ^ 川瀬泰史「ナチス期ドイツの自動車企業 : 研究史の批判的検討」『立教経済学研究』第61巻第3号、立教大学、251-264頁、NAID 110006534341 , p.255
  2. ^ 田野大輔「モータリゼーションへの意志 : ナチズムにおける自動車と近代性」『京都社会学年報』第5巻、京都大学、1997年、123-150頁、NAID 120005522576 , p.129

外部リンク 編集