土佐(とさ)
寺田寅彦は1928年(昭和3年)1月、「土佐及土佐人」において、土佐の地名をアイヌ語から類推する手法をもって(「要するにこじつけ」[1])、次のように推定している(→語源俗解)。
土佐 門狭(とさ)ですなわち佐渡の狭門(さど)に同じく狭い海峡をはいって行く国だとの説がある。しかしアイヌで「ツサ」は袖の義である。土佐の海岸どこに立って見ても東西に陸地が両袖を拡げたようになっているから、この附会は附会として興味がある。もしこれがアイヌだとすると、隣国讃岐(さぬき)は「サンノッケウ」すなわち顎であろう。能登がアイヌの「ノト」頤(おとがい)である事は多くの人が信じている。坪井博士の説ではトサはやはりチャム系の言葉で雨嵐の国だそうである。これだとあまり有難くない国である。[2]