堀 利長(ほり としなが)は、江戸時代前期の大名常陸玉取藩の第2代藩主。徳川家光からその器量を認められて寵愛されていたという。

 
堀利長
時代 江戸時代前期
生誕 慶長6年(1601年
死没 万治元年10月12日1658年11月7日
改名 利昌(初名)→利長
別名 左馬助(通称
戒名 理澄院殿直心全性大居士
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従四位下、対馬守、越中
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
常陸玉取藩
氏族 堀氏
父母 父:堀利重
兄弟 利長利直
正室:内藤信照の養女内藤信武の娘
長女(折井正利室)、次女(堀親智室)、
三女(堀通周正室)、男、男
養子:通周
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生涯 編集

慶長6年(1601年)、堀利重の長男として生まれる。寛永15年(1638年)、父の死去により跡を継ぐ。このとき、利直の利直に2000石を分与したため、1万2000石を領する。寛永18年(1641年)1月15日に大番頭に任じられ、万治元年(1658年)10月12日に在任中のまま死去した。享年58。跡を婿養子の通周が継いだ。