堺市

さかいし
堺市
Sakai montage.jpg
上段:大仙陵古墳旧堺燈台千利休屋敷跡
中段:大鳥大社妙国寺
下段:堺市役所から望む大仙陵古墳
Flag of Sakai, Osaka.svg
市旗
Sakai Osaka chapter.JPG
市章
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
団体コード 27140-3
面積 149.99km²
総人口 842,542
推計人口、2012年2月1日)
人口密度 5,620人/km²
隣接自治体 大阪市松原市羽曳野市
富田林市大阪狭山市
河内長野市和泉市高石市
市の木
市の花 ハナショウブ
他のシンボル 市の花木:ツツジ
市の鳥:モズ
堺市役所
所在地 590-0078
大阪府堺市堺区南瓦町3番1号
堺市役所
外部リンク 堺市

堺市位置図(大阪府)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

堺市行政区画図

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堺市(さかいし)は、大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市である。泉北地域の一つではあるが、河内地域を含むため他の泉北地域とは区別される。

地理

大阪平野のやや南を西流する大和川の左岸下流域に位置する。大阪湾に西面し、北は大阪市、北東は松原市、東は羽曳野市富田林市、南東は大阪狭山市河内長野市、南西は和泉市高石市に接している。市内は7つの行政区に分かれ、堺区が北西部に、美原区が東端部に位置する他は、中区東区西区南区北区と方位による区割となっている。

市名の由来

「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国河内国和泉国の「境(さかい)」に発展したことによると言われている。「境」、「左海」などとも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある)。

鎌倉時代以降は、摂津国と和泉国の荘園名として見られ、江戸時代元和年間)以降は、両国の国境に大小路という東西幹線を敷いた町となった。宝永年間には大和川の付け替えが行われたが、明治3-4年まで大小路は国境の役割を果たした。

国境が大和川に変更された後は和泉国のみに属する町となったが、1938年(昭和13年)の南河内郡金岡村編入以降、和泉国と河内国に跨る市域を形成するようになり現在に至っている。このため、他の泉州地域と区別され、「堺・泉州」や「堺・泉北」のように分けて表記されることが多い。

地域の概要

西部(堺区・西区)

中南部(中区・南区)

東部(北区・東区・美原区)

歴史

石器時代

現在の堺市域に人が定住したのは古く旧石器時代とされる。市内各地の遺跡からは旧石器時代の打製石器縄文時代土器石器弥生時代銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は池上・曽根遺跡和泉市泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、堺市域では最大規模を誇る(浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため遺跡としての形はとどめていない)。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴住居跡を中心とする集落や土器・金属器などが出土している。

古墳時代(ヤマト王権の重要地)

大仙陵古墳(仁徳陵)国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成
大仙公園

古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の釜跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在も残る。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られた。
神功皇后三韓征伐からの帰途、七道の浜に寄り、地元の豪族の田蓑宿禰津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るように告げたという(住吉大社の起源)。

飛鳥時代(難波大道と交通網)

飛鳥時代になると、難波宮難波京難波津から四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥の都と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの美原区大保(丹南)や北区金岡・東区日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。

平安時代・鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)

平安時代には熊野詣の宿として境王子大鳥居王子が設置された。鎌倉時代には京都奈良など後背都市の産業を背景に南北の堺荘が成立。

南北朝時代(南朝と勘合貿易)

南北朝時代には、南朝(吉野朝廷)方の住吉大社宮司の津守氏に関係して南朝の外港的役割を担うようになり、廻船が発着する港へと発展した。地下請の特権を得て、室町時代には足利将軍家三管領細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となる。戦国時代にはルソンカンボジアなど東南アジア方面での貿易で栄えた。

室町時代・戦国時代(東洋のベニス)

応仁・文明の乱以後、それまでの兵庫湊に代わり堺は日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる国際貿易都市としての性格を帯びる。布教のため来日していたイエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、マラッカの司令官宛に「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」と報告、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。

堺の鉄砲鍛冶(和泉名所図会)/国会国立図書館所蔵

安土桃山時代(自治都市)

安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世の自治都市となるが、その価値に注目した織田信長豊臣秀吉らの前に屈服。自治機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられたため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。産業面では戦国期より鉄砲生産が盛んに行われ、また文化面では今井宗久千利休津田宗及に代表される茶の湯などが特記される。特に信長から武装解除された橿原市今井町との交流は深く、竹内街道を通じ江戸時代まで毎日行き来した。「海の堺」に対し「陸の今井」と呼ばれ、堺同様に自治都市として栄えた。

江戸時代(近世都市の源)

江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなった。これにより、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。

しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響は莫大である。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人が集中していた。一方で堺は積極的に海運のため、全国の主に海岸の中小都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多鹿児島大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪名古屋東京なども例外ではない。

江戸時代後期からそれ以降(工業都市)

江戸時代でも後期に入ると、醸造業などが栄えた影響で再度活気を取り戻すようになる。幕末になり、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いことを理由に堺がその代港候補に挙がる。だが幕府内の勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。この結果、堺は中世以来の国際貿易港への復帰の道を閉ざされ、その座を神戸に明け渡すことになった。明治以降は、紡績煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げていき、阪神工業地帯の一角を占める経済的地盤を作り上げていく。

なお、堺市の町名には「○丁目」の「目」がつかない。1872年の町名改正で、改正前までは独立していた小さな町を「○○東一丁」や「○○西一丁」などに変更し、「丁」に「町」と同格の意味合いを持たせたことに由来する。以後、周辺の町村を合併し市域に編入したが、町を細分する場合も前例に倣い「丁目」を使わず、美原区を除く市内全域が「丁」で統一されている。

年表

古代

中世

近世

近代

現代

「堺町」のある都市

堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。

堺空襲

1945(昭和20)年当時、日本には180の都市があり、うち58都市がアメリカ軍による空襲を受けた。アメリカ軍は180都市を人口の多い順に空襲する作戦をとり、堺市は人口18万人で空襲順位は24位であった。広義の「大阪大空襲」で着弾目標地点が置かれたのは大阪市(空襲順位2位)と堺市、尼崎市(同25位)のみである。アメリカ軍は堺市を空襲都市に選んだ理由を「堺の主要価値は大阪市に近接していて、その工業が大阪市と統合されていることである。また、この都市は大阪の軍需工場の労働者に住宅を提供している。大阪の工場に打撃を与えるために、堺の軍需工場は疎開可能箇所として重要である」(アメリカ軍の作戦任務報告より)としているが、実際は非戦闘員を目標にした無差別爆撃であった。被害は工場より民家に集中した。

市町村合併・政令指定都市への移行

2005年2月1日に東隣の美原町を編入合併した。この編入合併によって政令指定都市の実質上の要件である80万人を超えたため、2006年4月1日に政令指定都市へ移行した。

なお、隣接する高石市大阪狭山市との合併も検討していたが、2003年に高石市で合併の是非を問う住民投票が行われ、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散。大阪狭山市では合併協議会設置が議会で否決された。しかし、合併はならなかったが、高石市とは現在も消防事業は共同で行っており(堺市消防局)、大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。また、高石・大阪狭山両市とは市外局番が同じ(072局・堺MA)である。

複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまでにも神奈川県横浜市川崎市、後に相模原市)、福岡県福岡市北九州市)の2つだけしかなく、堺市の政令指定都市移行により、全国3府県目の事例となった。その後、静岡県静岡市浜松市)も加わり現在は4府県となっている。また、都道府県内の人口占有率が1割に満たない初めての例であり、2010年4月に移行した相模原市が2例目となる。

政令指定都市への道のり

黎明期

胎動期(合併で移行めざす)

模索期(合併白紙の余波)

発展期(合併せず単独で移行めざす)

混迷期(支所制度の導入)

転換期(中核市へ移行)

進展期(再び合併で移行めざす)

議会

行政

市長

歴代市長

名誉市民

行政区

Sakai-city kuiki.png

堺区 北区
西区 中区 東区 美原区
南区

次の7区が設置されている。詳細は各区の項を参照のこと。

行政区施行に伴い、堺市議会(定数52、法令定数より4人少ない)および大阪府議会の旧堺市選挙区(定数10)は、以下のように分割された。

市議会 府議会
堺区 9 2
中区 8 1
東区 5 ½
西区 8 2
南区 10 2
北区 9 2
美原区 3 ½

½: 東区と美原区で定数1

産業

主な商業地

堺東駅前

堺区中心部

堺東駅

小規模ではあるが堺市の繁華街とされ現在は高島屋、堺銀座商店街、ジョルノを中心に数多くの商店が集積している地域である。かつてはダイエーイズミヤ長崎屋ニチイユニードなど数多くの総合スーパーが堺東駅前に集積していたが、バブル崩壊とともにその多くの店舗が相次いで閉店し、かつての賑わいは衰退している。

高島屋 
1964年、大阪市外で最初の百貨店として開店。堺東駅ビルの改築工事の一環として入居した。1984年に開業20周年を迎え店内を改装。店舗を拡張して「アップル専門店街」を併設した。以後、高島屋とアップル専門店街で「堺タカシマヤショッピングセンター (SC) 」を構成する。2002年にアップル専門店街を高島屋が統合する形で新たな「高島屋堺店」となり、ソフマップをテナントに入れるも2年で撤退。現在はユニクロABCマートなどをテナントに入れており、最上階にはハローワークが入居している。なお地下レストラン街は、現在もアップルの名称やロゴ(upル)をそのまま使用している。
ジョルノ 
戦後の闇市を起源とする「堺中央マーケット」の老朽化が進んだため、1981年に行政と組合が開発主体となり再開発ビル「ジョルノ」として生まれ変わった。開業以来、核店鋪にはダイエーが入居していたが2001年に閉店。その後、核テナントとして生鮮館PASTO、キャップ書店、ダイソーなどが入居していたがいずれも2011年で閉店した(ハローワークも入居していたが、2011年に高島屋堺店の最上階に移転)。堺東駅とはペデストリアンデッキで結ばれている。
堺銀座商店街 
明治時代に高野鉄道が開通した時からある古い商店街。戦中、堺東に市役所など官庁が移転してきたことや、旧市内の商店が空襲に遭い打撃を受けたことで、堺の中心商店街としての地位が高まった。1953年アーケード(ビニール式)が完成。1988年にはモスク型のアーケードに生まれ変わった。ここ数年は、堺市の支所制度導入に伴う堺東の地位低下や郊外型ショッピングセンターの開業が相次いだこともあり、かつてのようなにぎわいはない。人気フォークデュオコブクロがインディーズ時代に路上ライブを行っていた地でもある。一時、空きビルに場外馬券場を誘致しようという動きがあったが、住民の反対運動により計画は潰れた。
宿院駅
江戸時代から宿院頓宮開口神社鳥居前町として栄えた。明治時代には劇場街となり、なかでも「卯の日座」は堺最大の劇場として有名だった。1891年には新派川上音二郎一座が書生芝居の旗揚げ興行を行ったほか、曾我廼家五郎も一座を旗揚げ後、「卯の日座」で最初の興行を行った。山之口商店街は、戦前までは「堺の心斎橋」と称され、「電気館」など映画館も数多くあり大いににぎわったが、戦後は衰退の一途である。また、大小路筋を挟んで北側の通称「天神」は、菅原神社の鳥居前町として歓楽街を形成。現在も飲食店が軒を連ねる。
堺駅
1985年に現在地に移転、高架駅となるまでは、現在の南口に駅舎があった。1986年イトーヨーカドーが駅前に出店(関西1号店)したが2011年2月13日に閉店。駅ビルに隣接する商業ビルは、入居する核テナントの誘致計画(西武百貨店やダイエー系のプランタンなど)がことごとく頓挫し、高架駅にしては不釣合いな駅舎のまま長年放置されていた。結局、南海電鉄ミドリ電化紀伊国屋書店旭屋書店を経て、現在はTSUTAYA)、食品スーパーのエース新鮮館などからなる自前の複合商業施設「PLATPLAT(プラットプラット)」を2000年に開業した。1993年には西口にリーガロイヤルホテルが開業。大阪市営バスも乗り入れるようになった。

堺区・北区

堺市駅 
ベルマージュ堺イズミヤ)、堺市駅商店街

(北区)

北花田駅 
イオンモール堺北花田阪急百貨店イオン
新金岡駅 
エブリー(イオン)、ドン・キホーテ

西区

津久野駅 
グルメシティ、イトーヨーカドー、デイリーカナート
鳳駅 
おおとりウィングス(ダイエー)、鳳本通商店街、アリオ鳳(イトーヨーカドー)

中区

深井駅 
深井プラザ、グルメシティ

南区

泉ヶ丘駅 
パンジョ(高島屋)、ショップタウン泉ヶ丘、ジョイパーク泉ヶ丘トイザらスベビーザらスしまむら
栂・美木多駅 
ダイエー、クロスモール(イズミヤ、TOHOシネマズ
光明池駅 
アクト、サンピア、(ダイエー、イオン、コムボックスの所在地は和泉市

(東区)

北野田駅 
ライフ、ダイエー、ベルヒル北野田(サンプラザ

中百舌鳥副都心計画

1982年に発表された大阪府の総合計画で、豊中市千里中央東大阪市荒本とともに、堺市の中百舌鳥が「大阪府の新都心」として位置付けられることになった。1983年には堺市も総合計画を発表し、中百舌鳥を「堺市の副都心」として位置付けた。ちょうど中百舌鳥にあった日本ピローブロック製造の本社工場が美原町(当時)に移転することになり、その跡地に大規模商業施設を誘致することも計画に盛り込まれた。同時に堺市役所の本庁機能の中百舌鳥移転も計画されたが、現本庁のある堺東駅周辺の商店会などから、同駅周辺の経済が地盤沈下することを理由に強い反対を受けて頓挫している。1987年4月に地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸されたことを機に区画整理事業が始まった。大規模商業施設への出店を募ったところ、そごう西武百貨店阪急百貨店などが入札に参加した。設計競技段階では西武が落札したが、駅周辺の土地を先行取得していたそごうが西武への土地提供を拒否。「そごう所有地」の看板を掲げて、西武と縄張り争いのようになった。一方、堺市はなかなか進まない事業を後押しするため1991年、「第三次堺市総合計画」で、改めて中百舌鳥を新都心として位置付けるなど事態の収拾に乗り出したが、1992年に西武は「業績悪化」を理由に中百舌鳥進出を断念。事業からの撤退を表明した。バブル崩壊により、そごうも1993年、中百舌鳥からの撤退を表明。再開発事業は失敗に終わった。その後、西武とそごうは「ミレニアムリテイリンググループ」(→そごう・西武)として経営統合され、現在に至る。堺市にとっては何とも皮肉な結果となった。これらの経緯から、近年まで中百舌鳥駅北側は更地が多かったが、2002年になって駅前にロータリーが完成した。大規模計画がすべて頓挫したことによって、駅周辺には無秩序にマンションや商業ビルが林立している。

都市再生緊急整備地域

都市再生の拠点として国が定めたもので、都市開発事業などを通じて重点的に市街地整備を推進すべき地域とされている。堺市内では以下の3地域が指定されている。

堺臨海地域 
新日本製鐵堺製鐵所高炉休止・事業所縮小(1990年)によって生じた遊休地を開発する計画。堺市は「臨海新都心」(愛称・堺浜)と位置づけ、マリーナ、海とのふれあい広場、干潟などを整備している。2006年3月21日に「堺浜シーサイドステージ」の第1期工事が完成。シネコンなどを備えた大型複合施設(堺浜えんため館)も同年4月15日に開業した。また、2010年には天然芝のサッカーグランドやクラブハウス、宿泊施設を備えた西日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンター「J-GREEN堺」が完成した。将来的にはLRTの乗り入れも検討されており、堺製鐵所の敷地内には「トランスロール」堺浜試験線が引かれている。なお、新日本製鐵は当初、堺製鐵所の遊休地にアメリカのユニバーサルスタジオを誘致することでユニバーサル社と話を進めていた。かねてより日本進出を目論んでいたユニバーサル社と北九州市スペースワールドを開業したノウハウを持つ新日本製鐵の思惑が合致したためだが、交通の便の悪さを理由に合意が得られなかった。
堺東駅西地域 
大きく3地区の開発計画がある。(1)裁判所庁舎の建て替え工事など官庁街の整備、(2)銀座商店街南側に市民ホールなどを備えた再開発ビル建設、(3)(西地域ではないが)駅東側の車庫跡に高層マンション建設、である。このうち、(3)は完成、(1)も一部が完成している。堺東駅前はジョルノが1981年に開業して以来、市役所を除いてほとんど変化がない。むしろ寂れる一方で、1990年代にはスーパー(長崎屋イズミヤニチイ)の撤退が相次いだ。堺市の玄関駅でもあり、最も開発が急がれている地域である。
鳳駅南地域 
東急車輛工場跡地に、高層マンションとシネコンなどが入った大型複合商業施設「アリオ鳳」(イトーヨーカドーが中核)が完成した。反面、鳳駅は阪和線でも重要な駅の一つだが「駅前」と呼べるものがないに等しく、今後は駅前ロータリーの整備が検討されている。

伝統産業

堺市に本社を置く企業

上場企業

非上場企業

堺市に拠点・事業所を置く企業

漁業

農業

姉妹都市・提携都市

国内

和歌山県東牟婁郡本宮町1998年5月4日に友好都市提携を結んだが、2005年5月1日に本宮町が田辺市と合併したため解消した)

日本国外

国際機関

領事館

地域

人口

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.32%増の841,966人であり、増減率は府下43市町村中10位。区別では最高が3.76%増の北区、最低が1.48%減の南区。

Demography27140.svg
堺市と全国の年齢別人口分布(2005年) 堺市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 堺市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
堺市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 616,558人
1975年 777,009人
1980年 839,421人
1985年 852,864人
1990年 844,899人
1995年 840,384人
2000年 829,636人
2005年 830,966人
2010年 842,134人
総務省統計局 / 国勢調査

教育

大学


短期大学


学校教育以外の教育施設

自動車教習所

スポーツ

野球

プロ野球
社会人野球

都市対抗野球大会出場チーム

高校野球

甲子園出場校

サッカー

バレーボール

Vリーグ

八幡製鐵が堺市に製鐵所を設置したのは1961年1969年にはバレーボール部が北九州市から堺市に本拠地を移転した。1970年、八幡製鐵と富士製鐵が合併して社名が新日本製鐵になる。バレーボール部は「燃える鉄人」の愛称を持ち「新日鐵ブレイザーズ」と名乗った。2001年からクラブチームとして「堺ブレイザーズ」に改称し、地域密着を図っている。

高校バレー
全国大会出場校
愛泉高等学校(現在の堺女子高等学校1984年3位)
高校総体出場校
堺市立商業高等学校堺市立堺高等学校に統合されて閉校、1960年3位)

相撲

大相撲

大相撲春場所(大阪場所)が難波大阪府立体育会館で行われるため、距離的に近い堺市に場所中、以下の部屋が宿舎を構える。

かつて堺に宿舎を構えていた部屋

堺出身力士

学生相撲

大浜は学生(アマチュア)相撲発祥の地である。1919年、旧大浜相撲場で第1回全国学生相撲大会毎日新聞社主催)が開かれた。その後、東京に主会場を変更したが、1974年から開催地が再び大浜に戻った(当初は大浜体育館の特設土俵)。1981年には大相撲と同じ規格の「大浜公園相撲場」が完成。現在、全国学生相撲選手権大会は、東京の両国国技館と隔年ごとに開催されている。なお、大浜公園相撲場は女子も土俵に上がることができる。

大浜公園相撲場で開かれる主な大会

水泳

堺市には臨海工業地帯が造成されるまで海水浴場が4か所(大浜・湊・諏訪ノ森・浜寺)あった。なかでも浜寺は、海浜リゾート地として全国に名を知られていた。現在でも諏訪ノ森から浜寺公園にかけての一帯は、大仙公園周辺とともに「風致地区」に指定されている。また愛知県碧南市にはかつて、浜寺の白砂青松にあやかった「新浜寺海水浴場」があり、海岸が埋め立てられた今も「浜寺町」の地名が残る。泉大津市にも1960年代半ばまで「南浜寺」という地名が存在した(現在の松之浜町)。近くに助松海水浴場があり、「浜寺」ブランドにあやかった別荘地として知られた。現在も区画整理された町割に邸宅が点在する。

浜寺水練学校
浜寺水練学校は1905年毎日新聞社が浜寺海水浴場開設と同時に海泳練習場として開校、100年の歴史を誇る。現在は浜寺公園プールを使用。クロール平泳ぎなど基本泳法のほか、日本泳法も指導する。また、浜寺は日本のシンクロナイズドスイミング発祥の地であり、1950年代からシンクロを指導していた。

スポーツイベント

現在、大津市の皇子山陸上競技場をスタート・ゴールに行われている「びわ湖毎日マラソン」と、京都市西京極陸上競技場をスタート・ゴールに行われている「全国高等学校駅伝競走大会」は1960年代まで大阪で開催しており、堺市内もコースに含まれていた。両大会とも毎日新聞社主催のため、堂島の旧毎日新聞本社前を発着点にしていた時期もあった。現在の国道26号府道堺阪南線をコースに使用していたが、交通渋滞などのため、いずれも変更された。

スポーツ施設

芸術

音楽

文芸

芸術行事

文化施設

医療施設

国の機関

隣接している自治体・行政区

交通

鉄道

市内には以下の鉄道路線がある。中心駅は市役所最寄駅である南海高野線堺東駅。堺市内を走る鉄道は、全てが大阪市から郊外へ南北に縦断する路線で、東西方向の交通はバスに依存している。そのため、かねてより東西方向を結ぶ鉄軌道の導入が構想されていた。地下鉄なども候補に挙がっていたが、木原市長時代に堺東駅から南海本線堺駅を経て堺浜方面へ向かうLRT(超低床電車による次世代路面電車)の導入が決定した。しかし、LRTの建設中止を公約に掲げて2009年に就任した竹山市長は2010年1月、公約通り、南海電鉄に対してLRT計画の中止(事実上の白紙撤回)を申し入れた。計画予算も調査費用の300万円を残して削減。計画は暗礁に乗り上げた。これにより、LRT計画による活性化が見込まれていた阪堺電気軌道阪堺線も堺市内区間廃止の可能性が高まったが、堺市は2010年から10年間にわたり、運賃割引などの利用促進策に年間2億円を上限に補助するほか、新型車両の導入などに総額30億円を助成する支援策を公表した。

大阪モノレールの堺への延伸計画

大阪モノレールは大阪中央環状線上を通り、大阪空港堺泉北臨海工業地帯を結ぶ路線として1970年代後半に計画。1980年に運営母体となる大阪高速鉄道が設立された。また、大阪府が計画した3大副都心地区「千里中央」「荒本」「中百舌鳥」(厳密には新金岡)を繋ぐ目的もあった。当初は大阪空港側と堺側から同時に着工する計画だったが、建設費などの問題から大阪空港側のみの着工となった(堺側は中央分離帯にフェニックスが植えてあるため、着工するには伐採する必要があった)。1990年に千里中央 - 南茨木間が開業し、現在は大阪空港から門真市まで開通しているが、南伸計画は今のところない。堺市の積年の課題である「東西交通の不備」は、このモノレールに期待を寄せていたことも原因のひとつとしてある。

バス

路線バス

市内交通のほとんどは南海バスが担っている。南海高野線堺東駅のほか、南海本線堺駅泉北高速鉄道線泉ヶ丘駅などにターミナルを持つ(北区の一部や美原区内の路線は、南海バスの子会社である南海ウィングバス金岡が担当している)。また、美原区や東区内には近鉄南大阪線河内松原駅などをターミナルとする近鉄バスが運行されている。このほか、かつて大阪市電が乗り入れていた関係で、堺区には大阪市営バスも乗り入れている[3]。堺市自体には公営交通(市営バス)の運行実績がなく、現在も市営バスはないが、南海バスと近鉄バスに業務委託しているコミュニティバス(堺市ふれあいバス・みはらふれあい号)はあり、各区役所や老人福祉センターを拠点に各区域を循環している。乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は整理券方式の区間制。なお、堺シャトルバスのみ乗降方式は前乗り後降り前払いで、運賃は均一制である。南海バス・近鉄バス・大阪市営バスともに磁気プリペイドカードであるスルッとKANSAI対応カードが使用できる。非接触型ICカードPiTaPaICOCAが大阪市営バスのみ使用可能。

高速バス

南海バス運行便には「サザンクロス」、和歌山バス運行便には「サウスウェーブ」の愛称が付く

エアポートリムジンバス

深夜急行バス

自動車

2006年10月10日より、自動車登録番号標・車両番号標(ナンバープレート)の地名表示が和泉からへ変更された。いわゆるご当地ナンバーを、2005年7月に国土交通省が新たに認定したため。10月10日以降に和泉自動車検査登録事務所(和泉市)で新車購入時の新規登録をするか、他地域からの編入や名義変更などの際に取得できる。

道路

有料道路

一般国道

府道

主要地方道
一般府道

道路の愛称

堺市内の道路には以下のような愛称が付けられている。

船舶

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

家原寺山門の金剛力士像(慶派作の真像はワシントンのフーリエ博物館の所蔵。明治期に村人が売却と伝わる)

公園・緑地

道・旧街道

歴史的建造物

神社・仏閣

古墳

堺市内の銅像

祭事・行事

報道機関・出版・放送局

新聞社

出版社

書店

文学賞

ケーブルテレビ局

ラジオ送信所

堺市を舞台とする作品

テレビドラマ

小説

落語

漫画

舞台ではないがモデルとなった作品

堺市に関連する有名人

堺市出身者

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

堺市にゆかりのある有名人

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

わ行

脚注

  1. ^ 大阪府立泉北考古資料館、堺市へ移管で継続 - MSN産経ニュース
  2. ^ 堺市立泉北すえむら資料館がオープン(2010年4月14日閲覧)
  3. ^ かつてはあべの橋方面から堺東駅への路線もあったが、2012年現在は住之江公園から堺駅までの路線のみ。
  4. ^ 一等三角点 大浜公園 - 国土地理院測地部

関連項目

外部リンク

行政

観光

その他