大内 収多(おおうち かずた[1]1883年明治16年)2月15日[2] - 1945年昭和20年)6月4日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

大内 収多
生誕 1883年2月15日
日本の旗 日本 香川県
死没 (1945-06-04) 1945年6月4日(62歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1904年 - 1933年
最終階級 陸軍少将
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経歴 編集

1883年(明治16年)に香川県で生まれた[2]陸軍士官学校第15期、陸軍大学校第26期卒業[2]1927年(昭和2年)7月26日陸軍砲兵大佐進級と同時に野砲兵第26連隊長に着任し[1]1929年(昭和4年)8月に第12師団司令部附となり[1]九州帝国大学に配属された[1]

1932年(昭和7年)8月8日に陸軍少将に進級し[1]対馬要塞司令官に着任[2]1933年(昭和8年)8月1日に待命[2]8月30日予備役に編入された[2]

栄典 編集

勲章等

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 外山 1981, 201頁.
  2. ^ a b c d e f g 福川 2001, 140頁.
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026