大同門 (焼肉屋)
大同門株式会社(だいどうもん)は、大阪府吹田市豊津町に本社を置く企業。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒564-0051 大阪府吹田市豊津町9番22号 大同門本部ビル5F |
設立 | 1968年(昭和43年)4月 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 8120901014863 |
事業内容 | 飲食店経営(焼肉店、肉バル、ラーメン店、から揚げ店)、ネット通販 |
代表者 | 代表取締役社長 フォーリー淳子 |
資本金 | 5000万円 |
決算期 | 9月 |
外部リンク | https://www.daidomon.com/ |
飲食業を営んでおり、焼肉店の「大同門」を複数店舗運営している。
概要
編集創業者の西村義博は京都大学で講師を勤めていたが、実家の旅館が火事で消失したことをきっかけに起業を決意して株式会社ファミリーフーズを設立し、「脱ホルモン焼き路線」をキャッチフレーズとして1968年4月3日に焼肉店「大同門」の1号店を大阪・梅田新道に出店した[1][2]。
開業当初、女性従業員にチロリアンをモチーフとした制服を着用させたほか、焼肉店としては初のテレビCMを放映する[注 1]など、焼肉ファン層をサラリーマン、OL、主婦、子どもにまで広める積極的なマーケティングを展開していた[1][4]。また、世界で初のつけダレを確立したほか、着物姿での来客の増加に際して匂いを抑えるべく、後年における無煙ロースターを機器メーカーと共同開発した[1][4]。さらに、定番の定食メニューの1つである焼肉定食を確立した[1][3]。
順調に店舗を増やし、バブル景気の頃にはカジュアルレストラン「HALLO’S(ハローズ)」も展開したが、2006年1月26日にはBSE問題を発端とした輸入牛肉の高騰と外食産業の激化により、民事再生法の適用を経て[4][5]投資ファンドに売却され、ブランドや主力店舗こそ残ったものの1号店はビルごと売却された[4]。その後、2010年に西村の娘で通訳や起業家としての経験を持つフォーリー淳子[注 2]が買い戻し、現社長となって再建した[8][9]。
2020年11月時点では直営3店舗、フランチャイズ3店舗、から揚げ1店舗の経営のほか、インターネット通販も行なっている[10]。
グリコ・森永事件
編集1984年6月2日には、摂津店(後に閉店)がグリコ・森永事件の「かい人21面相」により、取引場所に指定されたことがある。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d “大同門の歴史”. 焼肉の大同門. 大同門. 2020年11月13日閲覧。
- ^ “創業50年、焼肉で笑顔に(2)行動力とアイデアでブーム 大同門社長 フォーリー淳子さん (1/2ページ)”. SankeiBiz (産経デジタル). (2018年11月6日) 2020年11月13日閲覧。
- ^ a b 『焼肉の大同門、TVCMの「だ~いど~もん(音)」の音商標登録が認可 創業50周年記念での登録、さらなるブランドの強化を目指す』(プレスリリース)大同門、2019年5月17日 。2020年11月13日閲覧。
- ^ a b c d “創業50年、焼肉で笑顔に(2)行動力とアイデアでブーム 大同門社長 フォーリー淳子さん (2/2ページ)”. SankeiBiz (産経デジタル). (2018年11月6日) 2020年11月13日閲覧。
- ^ “(株)ファミリーフーズ 倒産速報”. 東京商工リサーチ. 東京商工リサーチ (2006年1月27日). 2015年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月13日閲覧。
- ^ “シルバーエッグ・テクノロジー”. シルバーエッグ・テクノロジー. 2020年11月13日閲覧。
- ^ “創業50年、焼肉で笑顔に(4)2度の起業で上場も経験 大同門社長 フォーリー淳子さん (1/2ページ)”. SankeiBiz (産経デジタル). (2018年11月5日) 2020年11月13日閲覧。
- ^ “創業50年、焼肉で笑顔に(1)「会社は私が買い戻す」 大同門社長 フォーリー淳子さん (1/2ページ)”. SankeiBiz (産経デジタル). (2018年11月5日) 2020年11月13日閲覧。
- ^ “創業50年、焼肉で笑顔に(1)「会社は私が買い戻す」 大同門社長 フォーリー淳子さん (2/2ページ)”. SankeiBiz (産経デジタル). (2018年11月5日) 2020年11月13日閲覧。
- ^ “店舗一覧”. 焼肉の大同門. 大同門. 2020年11月13日閲覧。