大崎高兼

戦国時代の大名

大崎 高兼(おおさき たかかね)は、戦国時代大名室町幕府奥州探題大崎氏10代当主。

 
大崎高兼
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 享禄3年(1530年
改名 彦三郎(幼名)、高兼
幕府 室町幕府奥州探題
氏族 大崎氏
父母 大崎義兼
兄弟 高兼義直高清水直堅黒川晴氏正室
梅香姫
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略歴 編集

9代当主・大崎義兼の長男として誕生。幼名は彦三郎。室町幕府11代将軍足利義澄がまだ「義高」と名乗っていた頃(明応2年(1493年)~文亀2年(1502年))に元服し、偏諱(「高」の字)の授与を受けて高兼に改名する。このことから生誕したのはおおよそ148090年代の間のことと推測される。

享禄2年(1529年)に父が死去したため、その跡を継いで当主となる。しかし翌年、家督から僅か1年で死去した。

子は娘の梅香姫(のち大崎義宣正室)のみで跡継ぎの男子がいなかったため、弟・義直が跡を継いだ。

参考文献 編集