大東市

だいとうし
大東市
Flag of Daito, Osaka.svg
大東市旗
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
団体コード 27218-3
面積 18.27km²
総人口 126,561
推計人口、2012年2月1日)
人口密度 6,930人/km²
隣接自治体 大阪市門真市寝屋川市
四條畷市東大阪市
奈良県生駒市
市の木 サンゴジュ
市の花 キク
大東市役所
所在地 574-8555
大阪府大東市谷川一丁目1番1号
大東市役所
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大東市位置図(大阪府)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村
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大東市(だいとうし)は、大阪府北河内地域に位置する平安時代より、東高野街道など大阪と奈良を結ぶ交通の要衝として栄え、また戦乱の舞台ともなってきたが、江戸時代の治水・新田開発などにより、商都大阪の重要な後背地となった。
地名の由来は「大阪府東部」である事「大阪市の衛星都市として展望が期待される」事を「光は東方より」という古代ローマのことわざに託したことによる。

地理

隣接する自治体・行政区

大阪府

奈良県

人口

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.81%増の127,534人であり、増減率は府下43市町村中13位、72行政区域中28位。

Demography27218.svg
大東市と全国の年齢別人口分布(2005年) 大東市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大東市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大東市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 93,136人
1975年 110,829人
1980年 116,635人
1985年 122,441人
1990年 126,460人
1995年 128,838人
2000年 128,917人
2005年 126,504人
2010年 127,203人
総務省統計局 / 国勢調査

歴史

古代[1]
縄文時代前期の頃には生駒山の麓まで河内湾であったこの付近も、中期に入ると縮小に入り弥生時代には河内湖へと変貌し、中垣内や野崎、北条辺りに集落がつくられた。
古墳時代に入ると、堂山古墳群など飯盛山の麓一帯に多くの古墳が造営された。この頃になるとこの地域は国の歴史の流れに組み込まれるようになり、西大寺荘園であった「河内国更占(讃良)郡須濱庄」(現須波麻神社周辺)が奈良時代の文献に残されている。また当時、土地開発(条里制)がおこなわれたが、その名残が中垣内から北条という地名の残っている。
中世
平安時代になると河内湖は更に大きな池へと変化した(枕草子/勿入渕(ないりそのふち)と呼称されている)。それに合わせるように東高野街道沿いには集落ができ、とくに奈良へ向かう中垣内越の道と交差する寺川や中垣内辺りは交通の要衝として重要な地となった。大東市含めこの地方は古代より水害に見舞われることの多い地域ではあったが、利点として豊富な魚介や特産物の蓮があり、そのため今の赤井付近には皇室の食料を調達するための供御領が存在した。またこの頃になると低地開発がすすみ集落がより拡大した。
戦乱の世になると、東高野街道をはじめとするこの地域は戦略上重要な場所となり、たびたび舞台として名が登場する事となった(四条畷の戦い飯盛城)。この頃、東に深野池、西南に新開池と2つの池に範囲が確定し、深野池に浮かぶ島には飯盛城の支城である三箇城(現存せず/三箇菅原神社)があった。城主の三箇氏はキリシタンでこの地に教会を建設するなど、意欲的に活動を行い、それは宣教師ルイス・フロイスによって欧州にまで伝えられていた。
近世
1704年の大和川のつけかえとそれに伴う深野池新開池の干拓、新田の造成は地域の姿一変させた。とくに本願寺難波別院が中心となって行われた新田開発は各地からきた開拓民によって進められ、それらの定着は以降の農業の歴史において大きな力となった。結果、稲作を中心に木綿菜種などの生産高は飛躍的に増大し、「天下の台所」と称されていた大坂を支える地位を確立。また農業生産の伸びは地域を発展させ、大坂―奈良の中継地として農産物の集散地として貸客舟運の拠点(角堂浜、住吉神社)として大きな賑わいを見せた。野崎観音参りなど都市部との行き来も盛んになった。これらは「河内名所図絵」や「人形浄瑠璃お染久松」を通して窺い知れる。
近代
江戸期に引き続き、豊かな農業生産を基礎に大阪を支える支柱となった。地元篤志家による私学校、深野郷学校の開設、1892年の片町・四条畷間の鉄道、浪速鉄道の開通(のちに国有鉄道片町線となった)など近代化が推し進められた。大正に入ると人口が1万人を超え、電灯の設置や上水道整備を実現させ、特に浄水場の建設は情勢からすれば画期的なものであった。大正から昭和初期にかけて少しずつ人口は増え続けた。
現代
1956年(昭和31年)3万人を超えたところで現「大東市」が誕生する。高度経済成長期によって住宅、工場、事業所の進出が著しく増大し、急速な人口増加と都市化を経験。1975年(昭和50年)には人口約11万人にまで膨れ上がった。農地比率が高く、地盤も弱いこの地域は高い行政需要を生み出し、対応の難しさが様々な都市問題を引き起こす原因となった。こうした中で1972年(昭和47年)と1975年(昭和50年)には集中豪雨による河川氾濫により未曾有の水害に襲われ多くの市民が被害にあった。
その後この大災害を教訓に、水道事業の推進、河川や水路の改修を最重点に道路、公園、教育、福祉施設等に力を入れ、住道駅野崎駅四条畷駅の三拠点を中心に官民一体となって積極的なまちづくりを行っている。「人間尊重の快適なまちづくりをめざして」を掲げる第2次総合計画、「つくろうヒューマン新都心・大東」をテーマとする第3次総合計画、「いきいき安心のまち・大東」[2]をテーマする第4次総合計画[3](2001年策定)はその意識に基づかれたものである。

1986年(昭和61年)、市制施行30周年を記念して大東市立総合文化センター(サーティホール)がつくられた。
2011年(平成23年)、市制施行55年を記念してマスコットキャラクター(ゆるキャラ)「ダイトン」が制作された。

行政

歴代市長

氏名 在職期間
初代市長 川口房太郎(名誉市民第1号) 1956年
〜1976年
二代目 西村昭 1976年
〜1992年
三代目 近藤松次 1992年
〜2000年
四代目 岡本日出士 2000年5月5日
〜2012年5月4日
五代目 東坂浩一 2012年5月5日

経済

産業

大東市に本社を置く主な企業

このほか、三洋電機京セラ(SANYOブランドの携帯電話を製造)の工場がある。岐阜県安八郡安八町ソーラーアークより一回り小さな太陽光発電の看板がある。

教育

小学校

中学校

高等学校

大学

その他

日本郵政グループ

  • 大東郵便局(曙町) ★
  • 大東泉郵便局(泉町)
  • 大東新町郵便局(新町)
  • 大東津の辺郵便局(津の辺町)
  • 大東氷野(ひの)郵便局(氷野町)
  • 大東錦郵便局(錦町)
  • 大東住道郵便局(住道) ★
  • 大東野崎郵便局(野崎) ★
  • 大東灰塚郵便局(灰塚)
  • 大東朋来(ほうらい)郵便局(朋来)
  • 大東寺川郵便局(寺川) ★
  • 大東深野五郵便局(深野=ふこの)
  • 大東深野郵便局(深野)
  • 大東諸福郵便局(諸福)


★印はゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局(2011年2月現在)。

大東市内全域の郵便番号は「574-00xx」(大東支店の管轄)となっている。

交通

鉄道

市内にはJR線以外の鉄道路線は無い。

バス

道路

国道

ただし、近畿自動車道はわずかに大東市にかかっている程度で、また大東鶴見ICの大部分は大阪市鶴見区である。

府道

純民間道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

大東八景

祭り

戦国時代深野池(ふこうのいけ)に浮かぶ島には三箇城(さんがじょう)があり、城主の三箇殿は自らキリシタンとなりこの地に教会を建設していた。しかし、その城も今は跡形もなく消え「幻の城」となっている。黒田如水が、京都からへ向かう途中に立ち寄ったのが、三箇の「3つの島」にあった館である。

出身有名人

スポーツ

芸能

脚注

外部リンク