大森 尚則(おおもり しょうそく、1895年11月3日[1] - 1973年2月17日)は、日本経営者川崎製鉄会長を務めた。二女の夫は三菱レイヨン社長を務めた永井弥太郎

経歴 編集

岡山県岡山市出身[1]1920年京都帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に第一銀行に入行[1]1947年に取締役を経て、翌年には常務に就任した[1]

1953年川崎製鉄会長に就任。当時川崎製鉄は千葉製鉄所の建設中だったが、当時の日本銀行総裁・一万田尚登がこの方針に懐疑的で、メインバンクの第一銀行に対し人員の派遣を含むバックアップ体制の確立を求めていたため、第一銀行が大森を会長に送り込んだ背景がある(この際大森は岡田貢助を伴うことを求めたため、岡田も同社財務部長として出向した)[2]1965年に会長を退き相談役となった[1]

1973年2月17日心筋梗塞のために死去[3]。77歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1966, お215頁.
  2. ^ 放送大学 OUJ神奈川学習センターなつだより 第63号 p.9
  3. ^ 1973年 2月19日 読売新聞 朝刊 p23

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第23版 下』人事興信所、1966年。