大神 蘊麻呂(おおみわ の つみまろ)は、平安時代前期の神職朝臣大神真守の子。官位正六位下[3]

 
大神蘊麻呂
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 正六位下 [1]
氏族 大神朝臣
父母 父:大神真守、母:酒井勝門主女[2]
兄弟 蘊麻呂、助雄、犬子
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出自 編集

蘊麻呂は大神比義の末裔で、系図では大神比義-春麻呂-諸男-種麻呂-雄黒麻呂-家頼-宮次-真守-蘊麻呂と記される。家頼には家弘という兄がおり、家弘は小山田氏、家頼は祝氏として宇佐神宮に仕えたという[4]

概要 編集

豊前国宇佐郡の住人で、天長元年(824年)に、蘊麻呂の母に「菱形宮の西方の荒垣の外に隠れ居る神」が憑き、自身を祀るように要求したため、仁寿2年(852年)に若宮八幡神社を造営した。貞観5年(863年)には奉幣し、同11年(869年)には若宮八幡神社の大宮司となった[5]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 九州大学附属図書館「大神氏神官家系案[1]」(1943年)
  2. ^ 九州大学附属図書館「大神氏神官家系案[2]」(1943年)
  3. ^ 九州大学附属図書館「大神氏神官家系案[3]」(1943年)
  4. ^ 九州大学附属図書館「大神氏神官家系案[4]」(1943年)
  5. ^ 『八幡宇佐宮御託宣集[5]