大谷 香奈絵(おおたに かなえ、1982年5月30日 - )は、長野放送 (NBS) のアナウンサー

おおたに かなえ 
大谷 香奈絵
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 神奈川県川崎市
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-05-30) 1982年5月30日(41歳)
血液型 B型
最終学歴 フェリス女学院大学文学部日本文学科卒業
勤務局 長野放送
部署 アナウンス部
配偶者 あり
公式サイト 大谷香奈絵
担当番組・活動
出演経歴土曜はこれダネッ!
NBSみんなのニュース
NBSプライムニュース みんなの信州

来歴 編集

神奈川県川崎市出身。神奈川県立多摩高等学校フェリス女学院大学文学部日本文学科卒業。大学在学中の2003年に、BSフジNEWSニュースキャスターを務め、その後アメリカ・インド・ブラジルなどに留学した。2006年4月、NBS長野放送 に入社し、現在に至る。

身長153cm、血液型B型。趣味・特技は、ピアノ、フルート、習字、一輪車、マライヤム語会話(インド・ケーララ州で使われている)など。野菜ソムリエ、一輪車の公認指導者免許、書道7段 などの資格を持つ。

2012年に結婚したことを、2016年7月1日付のブログで公表している[1]

2016年9月3日から2018年3月25日まで、産休・育休の為、休職していた[2] が、2018年3月26日より職場復帰した[3]2019年5月20日から2021年4月4日まで第2子の産休・育休のため休職していた。2022年7月15日から第3子の産休・育休中である。

人物 編集

  • 一輪車
    • 一輪車演技で、史上最年少での元『全日本チャンピオン』である(この史上最年少記録は未だ破られていない)。また、一輪車の公認指導者免許も取得している。
    • 三四六のスポーツ万歳!!」(2008年12月28日放送)で演技を披露した際、出演していた信濃グランセローズの小高大輔が司会の三四六に「あの人が一番すごいんですけど」と漏らし、同じくこの番組に出演していた松本山雅FC小澤修一も自身のブログで「絶対ビビります。(中略) 一番すごいと思いました。」[4] とその技に驚嘆していた。
    • アナウンサーである現在も、長野県内で唯一、松本市にある一輪車チーム「ポリクローム」に所属し活動する。子どもたちに一輪車の指導をはじめ、自らも演技者として舞台に立っている。
  • 音楽などの趣味・特技面
    • ピアノ、フルートが趣味であることもあり、絶対音感を持っている。ピアノは3歳から習い、高校までは音楽大学を目指していた[5]。コンクールで多数受賞したことのあるほどの腕前を持つ。フルートは高校・大学時代オーケストラ部に所属していた時に吹いていた。
    • 高校時代、ミュージカルで主役を演じた[6]
  • 大学時代、いろいろな国の人たちと交流がしたいと、非言語コミュニケーションについて学んだ。海外のボランティア活動にも積極的に参加し、社会的差別が色濃く残るインドの地域でトイレ作りをしたり、ブラジルの僻地でバナナ農園を手伝ったりした[5]
  • アナウンサーを目指す前は海外での保育士を目指し、実際学生時代にアメリカ・サンフランシスコで活動をしていた。保育士ではなくアナウンサーになった理由について、「病院のベッドの上でテレビを観て生活している祖母に、寂しい思いをさせたくなかった。アナウンサーになれば毎日顔をみせてあげられるから。」と信濃毎日新聞の取材に答えている。
    • 「土曜はこれダネッ!」を担当していた時のお天気コーナー『大谷香奈絵の「あした晴れるカナ?」』のフェルトのマスコットは、全て大谷の手作りであった。また、同コーナーでは、大谷が自身で撮った写真も披露していた。
    • 2010年10月に長野市のビッグハットで開催されたNBS主催のイベント「日本全国“こだわり”食の彩典 in 長野2010」で「土曜はこれダネッ!」オリジナルスープを販売した際に、大谷の原作・手書きによる小さな絵本「末吉くんとスープのおはなし」を、購入者各日先着100名(計300名)にプレゼントした[7]
  • 2010年7月24日から25日まで放送の『FNSの日26時間テレビ2010超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』では、「FNS27局対抗! 三輪車12時間耐久レース O-1グランプリ2010」に、長野放送代表としてNBSの部長3人を率い、チーム唯一の女性ランナーとして参戦した。部長トリオは平均年齢50歳であった[8]
  • 2010年7月に放送された『NBS月曜スペシャル 江戸の面影〜香奈絵の木曽路旅日記』では、大谷が江戸の旅着物姿で木曽路を歩き、日記や絵を筆で綴った[9]。2011年2月に、第二弾として『香奈絵の中山道旅日記』が放送された[10]
  • 2011年3月26日の「土曜はこれダネッ!」で卒業し、28日から「NBSスーパーニュース」のキャスターに抜擢される。これにともない、部署が制作局から報道局に移動となり(アナウンサーの職籍はそのまま)、更に報道取材も行うようになる。「ただの『テレビの中の人』にはなりたくない」と、取材に飛び回る毎日をおくる。「弱い立場の人の気持ちをくみ取れるような取材をしていきたい」と語る[5]
  • 2011年3月11日の震災後と11月中旬には、職場の休みを利用して、東日本大震災で被害を受けた宮城県気仙沼市等へ、瓦礫撤去のお手伝いのボランティアへ行き、その模様は同年12月7、8日付の大谷のブログに掲載されている。
  • NBSスーパーニュースの天気予報のコーナーでは、大谷が季節を切り自身で撮った写真やコラムが紹介されている。
  • 2015年現在、天気予報のコーナーで大谷が書いたイラストが使用されることがしばしばある。
  • 2016年に産休前の最後に「ガラスのうさぎ」の作者・高木敏子と取材で対面した。中学1年生の時に「ガラスのうさぎ」を読んで書いた読書感想文が全国大会で受賞される[11]

現在の担当番組 編集

  • 育休中

過去の担当番組 編集

脚注 編集

外部リンク 編集