大関 松三郎(おおぜき まつさぶろう、1926年9月7日 - 1944年12月19日)は、日本の詩人新潟県出身。

来歴・人物 編集

1926年(大正15年)9月7日、古志郡黒条村下下条(現・長岡市下々条)に小作農・大関仁平次の三男(7人兄弟)として生まれた。古志郡黒条村黒条尋常高等小学校(現・長岡市立黒条小学校[1])在学中に、生活綴方運動に参加していた恩師・寒川道夫と出会い、生活詩の指導を受けた。小学校卒業直前に浄書・装幀し、詩集として纏めた。

黒条尋常高等小学校卒業後、1941年昭和16年)に新潟鉄道教習所に入学。教習所卒業後は、機関助手として勤務した。その後、軍属を志し1943年(昭和18年)に山口県防府市に新設された海軍通信学校へ入学。海軍通信隊員として、マニラの海軍通信隊に赴任中の1944年(昭和19年)12月19日、南シナ海にて乗っていた輸送船魚雷攻撃を受けて沈没戦死した。18歳没。

死後の1951年(昭和26年)、戦前に治安維持法で検挙されていた寒川は、没収されていた大関の遺稿詩集を再度纏め、詩集『山芋』として出版した。

著書 編集

脚注 編集

外部リンク 編集