大阿仁村

日本の秋田県北秋田郡にあった村

大阿仁村(おおあにむら)は、かつて秋田県にあった。現在の北秋田市南部にあたる。

おおあにむら
大阿仁村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
大阿仁村阿仁合町阿仁町
現在の自治体 北秋田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
北秋田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 前田村、阿仁合町、上小阿仁村
仙北郡田沢村檜木内村
河辺郡河辺町
大阿仁村役場
所在地 秋田県北秋田郡大阿仁村
座標 北緯39度54分15秒 東経140度27分05秒 / 北緯39.90422度 東経140.45136度 / 39.90422; 140.45136座標: 北緯39度54分15秒 東経140度27分05秒 / 北緯39.90422度 東経140.45136度 / 39.90422; 140.45136
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歴史 編集

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により北秋田郡荒瀬村が村制を施行して、荒瀬村(あらせむら)が発足。
  • 1896年(明治29年) - 一部(荒瀬川櫃畑)を分割し北秋田郡阿仁銅山村に編入。
  • 1937年昭和12年)
    • 4月1日 - 一部(荒瀬本郷、鍵ノ滝)を分割し北秋田郡阿仁合町に編入。
    • 9月1日 - 名称を大阿仁村に改称。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 阿仁合町と合併し阿仁町を設置して消滅。

説話 編集

房住山が修験の場として開かれていた頃、房住山一帯を支配し翁面(上小阿仁村沖田面)に住む高倉長者という族長がいた。高倉長者は坂上田村麻呂と協力して、長面三兄弟という蝦夷を征伐したとされている[注釈 1]。その長者に「たつこ」というひとり娘がいた。この娘の婿は阿仁と言ったので、人々は彼のことを「阿仁殿」と言った。ところが、婿をとってしばらくしたら長者に男子ができた。長者は後に財産の争いが起き、血を見ることがないようにとクジ引きで土地を分け与えることにした。その結果、娘婿の阿仁殿は米ヶ沢(米内沢)、実子は鎌ヶ沢(合川町鎌沢)に住みそれぞれの地を支配することになった。その後、二人は奥地を切り開き、娘婿は「大阿仁」と言われる比立内地区まで、実子の方は「小阿仁」とよばれ萩形までをそれぞれ支配することになった[1][2]

著名出身者 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 坂上田村麻呂は史実ではこの地に到達していない

出典 編集

  1. ^ 鷹巣阿仁部「郷土学習」指導資料 第一集 『鷹阿の文化』、鷹阿郷土学習指導資料研究会編、1984年、p.38
  2. ^ 秋田叢書 別集 第2 (菅江真澄集 第2) 房住山昔物語 P.482. NDLJP:1174005/269

参考文献 編集

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。