大隅横川駅

鹿児島県霧島市横川町中ノにある九州旅客鉄道の駅

大隅横川駅(おおすみよこがわえき)は、鹿児島県霧島市横川町中ノにある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線である。

大隅横川駅*
駅舎(2005年3月)
おおすみよこがわ
Ōsumi-Yokogawa
栗野 (6.5 km)
(2.0 km) 植村
地図
所在地 鹿児島県霧島市横川町中ノ39-1
北緯31度54分20.11秒 東経130度42分11.19秒 / 北緯31.9055861度 東経130.7031083度 / 31.9055861; 130.7031083 (大隅横川駅*)
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
所属路線 肥薩線
キロ程 100.8 km(八代起点)
電報略号 ヨコ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線[1]
乗車人員
-統計年度-
108人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度-
220人/日
-2016年-
開業年月日 1903年明治36年)1月15日[2]
備考 無人駅[1]
* 1920年に横川駅から改称。
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歴史 編集

駅構造 編集

単式ホーム2面2線を有する地上駅[1]。元は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有したが、中央1線を撤去して2面2線の構造となった。木造駅舎を有する。

旧・横川町の中心駅だが、完全な無人駅である。駅舎は開業時からのもので、鹿児島県では嘉例川駅のものと並び最古である。無人駅であるが駅舎はきれいに保たれており出札口なども完全にその姿を残している。駅舎は2006年10月、100年以上前の姿を残し当時の建築構造を伝える重要な建造物として国の登録有形文化財に登録された[8][9]

太平洋戦争では1945年7月に当駅に停車中の貨車が米軍機の機銃掃射を受け、駅舎の屋根も蜂の巣のようになり、ホームの柱にはその跡が残っている[10]

島式ホームにはタブレット受けが残されている。年末は夜間、駅舎にイルミネーションが飾り付けられる。

のりば 編集

のりば 路線 方向 行先
1 肥薩線 上り 吉松都城方面
2 下り 隼人鹿児島中央方面

利用状況 編集

  • 2016年度の1日平均乗車人員は108人である。
年度 1日平均
乗車人員
1日平均
乗降人員
2000 174
2001 156
2002 132
2003 132
2005 116
2006 105
2007 96 128
2008 101 207
2009 95 193
2010 100 204
2011 97 197
2012 99 203
2013 111 225
2014 116 236
2015 112 225
2016 108 220

駅周辺 編集

  • 霧島市役所 横川総合支所(旧・横川町役場)
  • 横川健康温泉センター
  • 横川郵便局
  • 光雲寺
  • 霧島市立横川小学校
  • 九州自動車道
  • 丸岡公園

その他 編集

  • 南日本放送制作のDVD「かごしま鉄道物語」(2010年発売)では、1979年にテレビ番組で放送された当駅からの中継映像を見る事が出来る。当時から鹿児島現存最古の駅舎という事と、機銃掃射の貫通痕が認知されていた事が分かる。
  • 2007年8月8日の『ザ・ベストハウス123』で「一度は降りてみたい!日本の美しい無人駅BEST3」として紹介された。順位は3位、選者は横見浩彦
  • 隣の栗野駅にも1980年代時点では、米軍機の機銃掃射による弾痕が残っていた。

隣の駅 編集

九州旅客鉄道(JR九州)
肥薩線
栗野駅 - 大隅横川駅 - 植村駅

脚注 編集

  1. ^ a b c 『週刊 JR全駅・全車両基地』 33号 熊本駅・嘉例川駅・大畑駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年3月31日、27頁。 
  2. ^ a b c 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、16頁
  3. ^ 「戦争の怖さ伝える駅舎銃痕や弾丸/霧島・横川」 南日本新聞 2009年8月13日朝刊16面
  4. ^ a b 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、704頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  5. ^ a b 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、19頁
  6. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  7. ^ 「大隅横川駅横に平和公園完成/霧島市」 南日本新聞2009年11月24日朝刊13面
  8. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、12頁
  9. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、13頁
  10. ^ 鹿児島最古の木造駅舎。柱にぽっかり2つの穴は、米軍機の機銃掃射の跡。終戦まで1カ月弱、2人が死亡、児童2人も重傷を負った〈戦後77年かごしま 戦争の傷跡〉”. 南日本新聞 (2022年8月7日). 2022年8月10日閲覧。

参考文献 編集

  • 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「肥薩線・吉都線・三角線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第2号、朝日新聞出版、2009年7月19日。 

関連項目 編集

外部リンク 編集