天方通直

江戸時代前期の茶人

天方 通直(あまかた みちなお、天正17年(1589年) - 寛永7年11月22日1630年12月25日[1])は、江戸時代前期の旗本茶人[2]青山忠成の五男、母は天方通興の娘。通興の養子となる。妻は堀利重の娘。子に天方倶通天方通次、娘(近藤用治妻)がいる[1]通称は主馬助。官位は従五位下、備前守[1]

経歴・人物 編集

幼少時より徳川家康に仕え、慶長10年(1605年)12月26日に下総国で500石を与えられる。慶長13年(1608年)9月5日に250石を加増され、慶長18年(1613年)に実父・青山忠成が亡くなった後には遺領のうち1500石を与えられ、合計2250石を領する。大坂の陣にも参陣し、夏の陣では天王寺・岡山の戦いにおいて首級を挙げた。その後、書院番を経て、元和6年(1620年)1月に小姓組頭、元和9年(1623年)1月に書院番頭となる。同年9月より江戸城西の丸勤務となり、寛永2年(1625年)10月23日に上総国武射郡・下総国葛飾郡香取郡相模国高座郡のうちで2250石の朱印を賜る。寛永3年(1626年)10月3日、従五位下・備前守に叙任される。寛永7年(1630年)11月22日、42歳で死去。墓所は初め武蔵国貝塚の青松寺だったが、後に小石川の蓮華寺に改葬された[1]

茶は桑山宗仙に学んだ[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 寛政重修諸家譜 第5輯』(国民図書、1923年)p.336-337、巻第八百二十九
  2. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『天方通直』 - コトバンク