女堀(おんなぼり)は、群馬県赤城山南麓にある中世の水利遺跡[1]。赤城山の南側にある標高95mの等高線に沿う形で、前橋市上泉町から伊勢崎市国定町までの東西12.75km・幅15~30mにわたって築かれた溝である[2]平安時代後期に造られた未完成の用水路跡と推定されている。一部が国の史跡に指定されている。

1947年に、現在の前橋市南東部から伊勢崎市北部地域を撮影した空中写真。女堀は画面左上から右にかけて東西に走る。

概要 編集

伝承では、女性がで一夜で掘った溝の跡であるとか、女天下の時(推古天皇北条政子)に掘られた[3]溝の跡であるなどと言われてきた。また、「女堀」という呼称も元は「媼堀」が正しく、「媼=役に立たない」の意味と解する説もある[4][5]。現在ではそのほとんどが埋没したり、水田などに転用されているが、前橋市富田町・二之宮町・飯土井町などの、比較的保存のよい部分が断続的に国の史跡に指定されている。

女堀史跡地一覧[6]
市名 地区名 指定年月日 所在地 位置情報
前橋市 富田地区 昭和58年10月27日 前橋市富田町720-1 北緯36度22分57秒 東経139度08分36秒 / 北緯36.382482度 東経139.143383度 / 36.382482; 139.143383 (女掘(富田地区))
前橋市 二之宮地区 昭和58年10月27日 前橋市二之宮町292

荒子町640-1

北緯36度22分18秒 東経139度09分58秒 / 北緯36.371655度 東経139.166126度 / 36.371655; 139.166126 (女堀(二之宮地区))
前橋市 飯土井地区 昭和58年10月27日 前橋市飯土井町560-8 北緯36度22分11秒 東経139度10分50秒 / 北緯36.369691度 東経139.180641度 / 36.369691; 139.180641 (女堀(飯土井地区))
前橋市 前工団地区 昭和58年10月27日 前橋市東大室町164-2 北緯36度22分10秒 東経139度11分09秒 / 北緯36.369434度 東経139.185719度 / 36.369434; 139.185719 (女堀(前工団地地区))
前橋市 東大室地区 昭和58年10月27日 前橋市東大室町217 北緯36度22分08秒 東経139度11分26秒 / 北緯36.368799度 東経139.190535度 / 36.368799; 139.190535 (女堀(東大室地区))
伊勢崎市 赤堀地区 昭和58年10月27日 伊勢崎市下触町217 北緯36度22分00秒 東経139度11分34秒 / 北緯36.366805度 東経139.192915度 / 36.366805; 139.192915 (女堀(赤堀地区))

1979年昭和54年)から1983年(昭和58年)にかけて行われた発掘調査では、女堀の掘削排土の下から1108年嘉承3年・天仁元年)・1128年大治3年)の浅間山噴火のテフラが見つかったことから、12世紀中期に建設されたと考えられている[7]利根川もしくは赤城山麓の河川から淵名荘もしくは新田荘方面に水を流す目的で造営されたと考えられているが、主として秀郷流藤原氏の支配地を通ることから、同流一族の複数の豪族が利根川から淵名荘に向けて用水路を掘って一門の支配地に水を分配する計画であったものの、技術的な問題で完成できなかったと推定されている。また、近年では現地の有力な武士であった義国流河内源氏と秀郷流藤原氏が12世紀中期から土地支配を巡って次第に対立関係に陥った事(代表的な例として源姓足利氏藤原姓足利氏足利荘の支配巡って争った事件など)が工事を中断に追い込んだとする見方がある[8]

群馬県内や埼玉県[9]においても類似の「女堀」が確認されており、関連性が注目されている。

脚注 編集

  1. ^ 女堀
  2. ^ 前橋市教育委員会事務局文化財保護課 2020, p. 5.
  3. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 743.
  4. ^ 峰岸『日本歴史大事典』。
  5. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 745.
  6. ^ 前橋市教育委員会事務局文化財保護課 2020, p. 2.
  7. ^ 中世の巨大用水路「女堀」|伊勢崎市”. www.city.isesaki.lg.jp. 2023年6月24日閲覧。
  8. ^ 須藤聡「北関東の武士団」 (初出:『古代文化』第54巻6号(2002年)/所収: 田中大喜 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第三巻 上野新田氏』(戒光祥出版、2011年)ISBN 978-4-86403-034-2
  9. ^ 小野義信 1996

参考文献 編集

  • 能登健「女堀」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年)ISBN 978-4-582-13101-7
  • 峰岸純夫「女堀」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9
  • 峰岸純夫「女堀」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6
  • 『図説 日本の史跡 第4巻 古代I』、同朋舎、1991 (ISBN 978-4-810-40927-7)
  • 小野義信「川越・的場の女堀の意義」『研究紀要』第18号、埼玉県立歴史資料館、1996年、41-48頁、ISSN 03877876 
  • 前橋市教育委員会事務局文化財保護課『赤城山南麓の中世 赤城山南麓を横断する巨大用水路 史跡女堀』群馬県前橋市総社町3丁目11-4〈10〉、2022年12月23日(原著2022年12月23日)。doi:10.24484/sitereports.130850https://sitereports.nabunken.go.jp/130850 
  • 前橋市史編さん委員会『前橋市史 第一巻』前橋市、1971年。 

関連項目 編集

  • 足利俊綱 - 女堀造営に関与したとされている。