姉小路 済俊(あねがこうじ なるとし/なりとし)は、戦国時代公家大名飛騨国司姉小路家当主。

 
姉小路済俊
時代 戦国時代
生誕 永正3年(1506年[1]
死没 大永7年10月2日[2]1527年10月26日
改名 古川済俊
別名 梅樹院(号)
官位 飛騨国司正五位下左近衛少将
氏族 姉小路家飛騨古川氏
父母 父:姉小路済継
兄弟 済俊高綱田向重継?)
秀綱
養子:済光(済堯?)
テンプレートを表示

生涯 編集

永正3年(1506年)、姉小路済継の子として誕生。

永正9年(1512年)、従五位下叙爵し、永正12年(1515年)に侍従に任ぜられる。

永正15年(1518年)5月、父・済継が没すると家督を継いで飛騨国司となり、大永元年(1521年左近衛少将、大永2年(1522年正五位下に叙任されるが、この頃には既に家臣の三木家が台頭し始めていた。

大永7年(1527年)7月12日、卒去。享年22。戦国大名としては目立った戦果は挙げられなかったものの、生没年のほぼ正確な記録が残っている。

済俊没後は、弟・田向重継高綱?)が家督を継承するもかつての勢いはなく、江馬時盛三木直頼らの台頭を抑えきれず、姉小路氏は三木氏と同化していった。

官歴 編集

『諸家伝』による。

系譜 編集

『系図纂要』による。

脚注 編集

  1. ^ 『系図纂要』による。『諸家知譜拙記』では永正4年生。
  2. ^ 『系図纂要』による。『諸家知譜拙記』では大永7年12月没。

出典 編集

  • 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年