孝和太后(こうわたいごう、万暦10年(1582年) - 万暦47年(1619年))は、泰昌帝の皇太子時代の側室で、天啓帝の母。姓は王氏

孝和太后王氏

生涯 編集

順天府の庶民であった王鉞の娘として生まれた。万暦年間、太子朱常洛(後の泰昌帝)の邸に入り、選侍(皇子の側室)となった。万暦33年(1605年)、朱由校(後の天啓帝)を産んで、才人(皇子の妾妻)となった。万暦47年(1619年)3月、薨去した。太子妃(太子の正室)の礼で葬られた。 天啓帝が即位すると、皇太后の号を追贈された。

子女 編集

  • 朱由校(天啓帝
  • 朱由㰒 - 4歳で死去した。天啓帝が即位すると、簡懐王と追諡された。

参考文献 編集

  • 『明神宗実録』
  • 『明熹宗実録』