安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 [1]- 1971年3月20日)は、日本の実業家三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県松阪市出身。赤福餅で有名な赤福代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣

あぼ まさとし

安保 正敏
生誕 安保 正敏
(1907-11-08) 1907年11月8日
日本の旗 日本三重県松阪市
死没 (1971-03-20) 1971年3月20日(63歳没)
日本の旗 日本大阪府
死因 心臓発作
国籍 日本の旗 日本
出身校 同志社専門学校高等商業部
職業 実業家
活動期間 1929年から1971年
子供 濵田勝子(三女)
親戚 濵田益嗣(三女の夫)、濵田典保(孫)
テンプレートを表示

経歴・人物 編集

1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業[1]

1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した[1][2]1957年近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年東海ラジオ放送社長にも就任した[2]1957年東海テレビ放送副社長にも就任し[2]1967年には社長に昇格した[3]。三重交通会長、近畿日本鉄道取締役などを歴任した[2][4]

1971年3月20日大阪での出張中に心臓発作が起こり、死去[2]。63歳没。

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1969年。 

脚注 編集

  1. ^ a b c 人事興信所 1969, あ10頁.
  2. ^ a b c d e 1971年 3月21日 毎日新聞 東京朝刊 23頁
  3. ^ 東海テレビ放送 開局50年史 p218
  4. ^ 近畿日本鉄道 100年のあゆみ p625、p626
先代
大島一郎
東海テレビ放送社長
1967年 - 1971年
次代
鈴木充