宗岡 包延(むねおか の かねのぶ)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての地下官人

 
宗岡包延
時代 平安時代後期→鎌倉時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 上召使、史生、行事官
氏族 蘇我氏宗岡氏
重清包貞
テンプレートを表示

概要 編集

宗岡氏元慶元年(877年)に石川木村が先祖の名(蘇我石川)をもって子孫の氏の名称とするのでは、を避けることができず(避諱)、死後に生前の実名を忌んで口にしない風習に反するとして、宗岳朝臣姓に改姓したのが始まりである[1][2]

包延は『地下家伝』によると久安年間(1145年1151年)に召使、史生、行事官として朝廷に仕えていたという。また、建久8年(1197年)に上召使として見える[3][4]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 『日本三代実録』元慶元年12月27日条
  2. ^ 倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』(中央公論新社〈中公文庫〉、2015年)
  3. ^ 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)
  4. ^ 倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』(中央公論新社〈中公文庫〉、2015年)

参考文献 編集

  • 国文学研究資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データベース[2]
  • 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)[3]』(日本古典全集刊行会、1937年)
  • 倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』(中央公論新社〈中公文庫〉、2015年)