宝蔵寺 (京都市)

京都府京都市にある浄土宗西山深草派の寺院

宝蔵寺(ほうぞうじ)は、京都市中京区にある浄土宗西山深草派寺院山号は無量山。本尊阿弥陀如来伊藤若冲ゆかりの寺院である。

宝蔵寺
所在地 京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町587番地
位置 北緯35度00分23.9秒 東経135度46分06.5秒 / 北緯35.006639度 東経135.768472度 / 35.006639; 135.768472座標: 北緯35度00分23.9秒 東経135度46分06.5秒 / 北緯35.006639度 東経135.768472度 / 35.006639; 135.768472
山号 無量山
院号 如輪院
宗派 浄土宗西山深草派
本尊 阿弥陀如来
開山 弘法大師空海
中興年 天正9年(1581年
中興 玉阿律師
正式名 無量山如輪院寶藏寺
法人番号 3130005002455 ウィキデータを編集
宝蔵寺 (京都市)の位置(京都市内)
宝蔵寺 (京都市)
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歴史 編集

そもそもは弘法大師空海の創立であるが衰退した。文永6年(1269年浄土宗長西の弟子で千本釈迦堂第2世である如輪によって元西壬生郷に復興される。しかし再び衰微していたところ、天正9年(1581年)、玉阿律師によって再興される。天正19年(1591年)に豊臣秀吉による寺町の整備により、寺町の裏側にある現在地・裏寺町に移転する。

元治元年(1864年)に起きた禁門の変で全焼する。1932年昭和7年)現在の本堂が完成する。

本尊阿弥陀如来像は元禄13年(1700年)の制作である。

境内 編集

若冲との関係 編集

当寺は錦小路青物問屋「桝屋」を営む伊藤家の菩提寺である。伊藤若冲寛延4年(1751年)9月29日に父母の墓石を、明和2年(1765年)11月11日に末弟宗寂の墓石を建立する。

若冲筆の「竹に雄鶏図」「髑髏図」等の他、若冲の弟で弟子の伊藤宗巌(白歳)、弟子の若演、処冲、若啓、若拙、大光、環冲の若冲派作品が所蔵されている。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 宝蔵寺パンフレット

外部リンク 編集